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シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇を観た者によるエヴァという作品の終わりについての雑感

1.序

タイトルでもう説明全部してるんでアレですけど、先日シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇を観てきました。キッチリ2回目まで観た。画像はアスカが好きなんでアスカです。式波ですが惣流派です。
え?オタクじゃん。
普段こういうオタク感想はTwitterにつらつら書いておしまいにしてるんですけど、今回はどうにもそれで済ませてはいけねぇだろオイと思って文字に起こしてます。もう約1週間たったし良いだろ流石にって感じで。だいぶ長くなったので長文ダリィわwって方にはオススメしません。

まず、この文を読む何より先に述べておきたいのがコレはネタバレであるとか作中内容に関する感想とかじゃないという事。嘘。要所要所でちょっとだけお漏らしてます。でもそこまでじゃないハズ。多分。
でまぁネタバレとかじゃないんだけど、まだエヴァ観てないよ!って人は絶対読まないでいただきたいという事を明記しておきたい。
いや、そも公開中の映画感想を視聴前に見に来るなよって話なんですけどそれでも見るやつは見るんで。
けれど尚、観てないなら読まないでって念押しするのは

なるべくフラットな状態で観てほしい。
他者の所感も頭に入れないで観てほしい。

っていうのがあるからです。(これすらネタバレくさいがもうそこは観た人しかいないという前提で)
観た人の感想すら、この最終作を受け取るための不純物になりかねない。僕の感想という泥を少しかけたエヴァ最終作になってしまう。
エヴァが培ってきた25年という月日はあまりにも長く、それこそエヴァと人生が同期している人だっているハズ。アニメ史的にも重要である今作を僕の感想でバイアスが掛かったまま観られてしまうのはヒジョーにまずい。
僕の感想がエヴァ鑑賞中にチラっとでも出てきてしまったら僕はその人のこれからにずっと嫌な残り方をするし、その責任なんて到底取れない。取れるわけがない。当たり前だがそんな大罪を僕が犯したいわけでもない。
だからあくまで、皆が観た「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」という作品を大事にして欲しい。だからこそ視聴前には読むなって言う。これは映画を観た人全員が感じる事じゃないかなって思っています。
それだけ言うならそもそも感想なんか書くなよってなっちゃうんですけど、それでもこうして文章にしなきゃやってらんねぇってなっちゃう。エヴァがそれだけの作品だからって事なんですよね。
だから許せサスケ。

2.破

なげぇ前置きで申し訳ない。ここから本題、というかまず共有したい感想。それは観終わった後に出る感想。ここがよかった、とかココスキ(オタク)とかではなく、全てを乗り越えて映画館を出た時の感想。
それは「ありがとう」と「終わった……」だと思います。これに関しては賛否とか作品の出来とか関係なく万人が感じたと思う。
なんで?っていうのは映画みてくれって感じなんですが、この「ありがとう」と「終わった……」は恐らく庵野監督が今作で視聴者に抱かせたかった感想だと勝手に思ってます。特に後者。観終わった後に残る不思議な喪失感、悲哀、けれど溢れる感謝。旧劇場版と呼ばれる作品でやろうとしたこと。けれど出来なかったこと。 

「さらば、全てのエヴァンゲリオン」

このキャッチに違いない感想を観た人に与えることに成功しちゃってるわけなんですよ。フツーに凄すぎる。庵野秀明は天才なんか?天才だったわ。
ともかく、今作を視聴した者の胸にはエヴァンゲリオンが本当に終わったという空虚な穴が穿たれてしまいます。けれどそれは終わってしまった、と再び作品内に潜って懐古に浸らせてしまう事なく、現実に確かに穿たれた穴として寧ろ清涼感すら伴います。
穴は埋まらないし、癒えない。でも時間がたてばその事も忘れて、たまに自分に空いた空洞を思い出す。人生でオタクをしているとこういう作品に数回出会う事がありますが、そのどれもが偶発的で作品が終わった、だけでは中々こうはならないんですよね。意図的にやるなんてもうチョ〜むずい。無理ゲーと言ってもイイ。でも庵野はやった。そりゃ島本もキレる。おれもそーする。
だから最初に観た者同士で感想を言い合うと考察がどうとかじゃなくて「穴、空いてますね?僕もです」という再確認の儀式となってしまうんですよね。この表現は先輩の受け売りですけど言い得て妙だと思います。
故に「エヴァの映画、どうだった?」と聞かれるとネタバレがどうとか、考察がどうとか以前に
「見てきた。ありがとうって感じだった。あと終わったんだなって実感した。」
みたいな箇条書きで3点述べよ的感想しか捻り出せなくなるんですよね。コレは僕の語彙力の問題かもしれないので諸説あるけど。
そしてコレは、エヴァ話題だし、今からTV版旧劇新劇みて見に行こ〜っと。とやる人にはわかりにくい感情だと思います。無論その見方で作品の質が損なわれたり、面白さが変わったりするわけではないのですが、受ける印象はだいぶ変わります。少なくともQから待たされた経験が必要だと思います。理由は後述しますがとにかくそう。好き度がモノを言う。
なもんで、エヴァ最終作の評価は?と問われたならば、僕は質とか内容とか全部度外視してこう言うと思います。

「エヴァンゲリオンが好きなら、絶対良かったと言えると思う」

マジだって。詐欺じゃねーから。 

3.Q

そんでこっから。多分長くなったイチバンの要因。
そもそも何故そんな感想になるのか。その事象に対しての僕なりの見解と考察。エヴァそのものの話じゃなくなるからぶっちゃけ飛ばしてもいいんじゃないかな。読んでくれたら嬉しいけど。
先の文章で、人の人生に穴を開ける作品を意図的に作るのは難しい、ということを述べました。
その理由としてはそうなる作品は作品外の色々な要因が噛み合った時に生まれるからなんですが、その説明を今からしていきます。ガチ長いぞ。

まず、そもそも僕はエヴァンゲリオンという作品のガチファンではありません。いや、厳密には「当時の」ファンに比べると抱えた穴が極小であるだろうという予想から、ガチファンには及びません、という感じです。え?いやお前これまでツラツラ長ったらしくガチファンみたいなこと抜かしてたじゃねーかとなるかもですが、そう自称するには理由がありますので、少し説明させてください。
僕が初めて新世紀エヴァンゲリオンを見たのは小学校3年生の時だったと思います。2005年か2006年くらい。翌年にヱヴァンゲリヲン新劇場版:序を控えたくらいの時勢に僕はTV版を見てました。視聴に至った理由も、当時見ていたアニメ(多分ケロロ軍曹)でパロディがあって気になり、レンタル屋で借りてきたみたいな軽い理由だったと思います。
当時深夜アニメと呼ばれる部類にポツポツ手を出し始めていた少年の僕には、それは大変な衝撃の作品でした。とんでもねぇ作品だと。こんなもんがあったんかと。しかし悲しいかな、全てを理解するには8歳の子供には難しすぎた。理解が及ぶ部分となんとなく雰囲気で捉えてる部分が混在していて「どハマり」とまでいかなかったんですね。(いやエヴァってそんなもんじゃん、とか言われそうですが少3の読解力とハイティーンの読解力では受ける重みが違うので……)
なもんで、旧劇場版を見たのはしばらくたって中2(2010年)とかなんですよね。破がもう公開された後。これに関しては当時ニュースかなんかで破が公開されてる事を知って「え、ヱヴァの新劇ってもう2作目なんか。え〜観たいなぁ。」って理由で先に旧劇場版みなきゃって視聴に至りました。
当時インターネットが長時間使えなかった僕は(成績不振で禁止された時期とかもあった)運良くネタバレを踏む事なく旧劇場版を視聴でき、案の定メタメタに打ちのめされました。当たり前だろ中2だぞ。歪むわそんなん。まぁ、その流れで新劇場版もサクッとレンタルで見て、やっぱりすげぇ作品だなと。そう思うレベルにはエヴァを見てました。だかしかし、なんですよ。ここまでは良かった。問題はQです。
高1になった僕は初めてリアルタイムに劇場で見た。
まぁ〜〜あの作品の当時を知ってる方ならお察しの通りお通夜状態で劇場を後にし、昔に見たTVシリーズから見直して考察とかはじめちゃったんですよね。うわぁ、終わりだこんなん。ヤバいのが一丁上がりって感じ。
そういった感じで、エヴァそのものの沼に浸かったのは10年近く前で、比較的最近なんですよね。ここに僕が及ばないとする理由、人生に穴を開ける作品作りが難しいとする理由がある。
僕は結構古めのアニメが大好きで、天地無用とか昔のOVAを筆頭にかなりのアニメ愛を向けている。しかしリアルタイムで見てきた人に敵わない、僕には手にする事のできない情感というものが常につきまとって、作品に詳しくなればなるほど、のめり込めば込むほど、時折浮かぶ悲しさが際立つ。僕は常々80年代に生まれたかった、という事を言ったりつぶやいてたりするんですが、それは10代の多感な時期を90年代に過ごすことができなかった呪詛から来るものです。ズリィーよ、俺もそこにいたかったわ。という叶わぬ願いです。
それはエヴァに置いてもそうで、当時TV版をリアルタイムで見て、劇場まで足を運び、様々な感情を抱き、時が経ち現れた新劇場版の存在に期待と不安を見出し、今日まで歩んできたエヴァファン。
その人達が穿たれたエヴァ喪失の「穴」と僕が受けた「穴」。それは果たして同質の物なのでしょうか。きっとそうではなく穴の大きさは比べるべくもないでしょう。僕の穴「ですら」かなりの喪失感を伴っているのに、それ以上がある。しかし僕にはそれを知覚できない。これは悔しいですが事実です。
ここに一つ目の理由があります。
それは

時間(リアルタイム)

実際に作品がかけてきた時間、ファンが作品と歩んだ時間。これが伴わなければ失ったときの苦しみは生まれません。一気見じゃダメなんです。いや当たり前やんけ、長く付き合った作品が終わるのが悲しいのはどんな作品でもそうやろがい。と思われるでしょうが、ただ長ければ良いってことでもありません。モノには終わり方ってのがあります。
例えば長く続けてていて、ファンの状態的に近しい作品としてはMCUやスターウォーズがありますが、スターウォーズはユニバースを長く続けすぎてダレてしまったり、MCUもエンドゲームの感動が新しくはあるがユニバースはまだ続いている。終わってないやん。また、こういうシリーズなんてものは監督や脚本家が変わってしまうのも常で、続編がでるのか、終わり際はどこか。全てに興行収入や大人の事情が絡んでくる。こうなってくるといかにキレイに完結してそうでもどこかで「いつか次の作品がありそう」と片隅に浮かんでしまう。あと最近はフランチャイズに必死なのかどんな映画にも続編が作れるようにポストクレジットシーンがある。いや悪くはないんですけど。作品が終わった感はこれでは出ないんですよね……。バシッと終わらない。
終わり方、終わるまでの期間、それらも絶妙な塩梅がある。ファンの熱量もそう。

また、日本アニメ映画の巨塔、ジブリ作品にもこの喪失の穴を生み出す事は至難の技です。ジブリは単発の作品を発表してるスタジオで(映画って本来そういうものだけど)一つ一つの作品に感動し、心に深い何かを刻まれたとしても、僕が言う穴が開くという状態にはなり辛いのではないかと思う。もしあるとしたら、宮崎駿監督がマジに引退作を出して、それまでの凡ゆるジブリの集大成を描き出してスタジオ解散、とかならその作品がそうなる事はありえる。まぁまずあり得ない。描いててあり得なさすぎると思った。特に集大成。あの監督はそういうのやらないよ多分。想像だけど。

あとは作品の初見性がどれだけあるか、というのもあります。これは話題の鬼滅の刃無限列車編とかに難しい点と僕は思っていて(ファンがいたら怒らないで読んでください。マジで良い作品ですよ鬼滅は)理由としては原作が先んじて存在しているという事という点。(当たり前なんだけど)
そもそもTVアニメ版と地続きの鬼滅映画に(キャラの死という要素はあれど)作品の喪失感というのはなかなか生まれ辛い。作品の終局に関しても、原作漫画が終わってしまったので「終わる」ということが予想出来ている。なんなら内容もわかっている。アニメだけ見てネタバレ見たくないから漫画読まない!って人も(稀有だとは思いますが)当時あれだけ原作終了の話が取り沙汰されてしまっては終局の匂いを感じざるを得ないでしょう。
(先程上げたMCUには原作がありますが展開に関してはオタクならご存知の通りオリジナルもオリジナルである。てかアメコミの原作なんてバラけすぎててどれが元かなんて初見じゃまずわからない)
そういった理由で、二つ目の穴を開ける作品になる理由は

初見性(オリジナルアニメであるか否か)

であると考えます。ネタバレは厳禁なのです。詳しく内容をバラしてなくても結果を知っているのとそうでないのとは抜けていく気持ちが段違いです。故に原作モノだと難しい。小説や漫画でもちょっと難しい。なぜなら読む速度は読み手に寄るから。咀嚼して理解して覚悟してから進めていける。読み方によるけど。だからこそ工夫が必要で難しい表現方法だと思ってます。
ちなみに、先の文でリアルタイムという観点でこのような穴を開けるのは意図的だと難しいと言いました。それは何故か?作品にかけた時間が長ければ長いほど、穴を穿たれた時の虚無感は大きくなりますが、そもそも人はそれほど長い間作品に熱を注ぐことが難しい。というのがあるからです。故に数多の作品は10数年で終わるか終わらせられるかする。それが受け手の熱量の限界だったり、作品の限界だったりするから。無論熱狂的なオタクがずっといることはあります。僕も天地無用ずっとみてるし、リアルタイムで追い続けてるオタクもたくさん見ました。でもコンテンツが先細っていってしまうのは事実。作り手が変わったり、そもそも人が離れたり。だからこち亀みたいに日常に同化するレベルでないと「終わるの!?」という衝撃は生まれない。いや普通そんなんなる方がむずいんだけど。故に理由の3つ目は

作品が終わるタイミング

だと思っています。25年間連続的に供給された作品の終わりだとまた一味違うと考えています。これはある種断続的に、かつ監督が1シリーズを作り続け、そのシリーズ以外に正史(エヴァにこれ使うのあんま良くないと思うけど)が描かれる事はない。
長期間のシリーズの終わりを、醸造した期間やそれまでの流れを汲んで終わらせてしまえる作品はそう多くない。ジャンプ作品やその他の連載漫画、小説、アニメシリーズが中々できない事。今が終わり時である、という事がなかなかうまくいかない。
だからこそとんでもない終わり方をしたTV版、旧劇場版の存在は、今となっては不可欠なんです。
綺麗に終わった作品を掘り起こして作るとこうはいかない。人々の心にデッカいしこりを残していたからこそ、今作の喪失感はデカい。アレがあったからこそ今日まで作品に対する熱量があった。それは単なる好意や崇拝ではなく、怒りや絶望もあった事でしょう。ほぼ人生と同期した人もいるはずなんて書きましたが、まさしくそうなんですよ。
それを乗り越え、今作。しこりを根こそぎ抜き去り、エヴァに関する全てを持っていきます。
それがすなわち満足感に直結していきます。だからこそありがとうなんですよね。にくいヤロウだ。

あらゆる媒体で人生に穴を開ける作品というのは生まれると思っていますが、ことエヴァンゲリオンに関しては映画という媒体がラストだからこそ数々の人の心に穴を開けたと思っています。TVシリーズで終わってたんじゃこうはならない。完結までにかけた時間もそうですが、上映の長さっていうのも重要です。映画の長さがあるから終わりを確かに実感できる。20数分のテレビアニメ最終回やovaではあんまり得られない感覚です。
リアルタイムで25年もの月日をかけた作品である、ということ、加えてはオリジナルアニメーションのシリーズであり、作品そのものを見るまで終わりが確定しない事、そもそも一度は曲がりなりにも終わった、という事。一度の視聴に長い時間をかけることが出来る映画という媒体である事。庵野秀明という一人の作者が作り続けたこと。このどれがかけても今作はここまで人に穴を開ける作品にはならなかったと思います。その全てのピースがあった上で最高のタイミング、最高の答えを提示して、ある男が作品を畳んだ。この作品の全ての要素を考え、思いおこし、劇場に明かりが灯った瞬間、視聴者はエヴァが抜け落ちていった事に気付きます。

「あぁ、終わったんだ。」と。

4. 𝄇(オタクの10代とその終わり)

いや、なげぇ〜〜〜〜〜!!!

なげぇなげぇと前置きしてきましたが、長すぎる。ここまでたどり着いた人はいるのか?いたら割と凄いと思います。
上記の駄文は必要だったのか?そも僕の文章を読む奴がいるのか?そこはどうでもいいか。回顧録的な部分もあるし。……ともかく。色々書いてきましたが、これだけの文章を書くだけの熱量を映画を見たものに与えた。シン・エヴァってのはそれだけの作品なんだって点を理解していただければ充分です。こんだけの文章を読んだ後に初見かまそうものなら、最初に書いたフラットな気持ちが到底無理だとお分かりになりましたでしょうか。
殊オタクの情熱は薬にならぬというのは太古からの決まり事でして。
さて、もう言いたい事言ったし、殊更書く事もないかな、ってなったんですが、結びに一つ。
この新世紀エヴァンゲリオンという名の作品は恐らく今後、庵野秀明なる人物の手によって作られる事はまずないと思います。監督以外が作る可能性も限りなく0に近いと思ってます。そう感じた理由は映画にあるので視聴してなんとなくこういう事かなって想像してください。それは同時に、当時新世紀エヴァンゲリオンという作品を見ていた10代、後にエヴァを知り今や20代になった僕のような存在。それらオタク全ての10代の終わりを意味しています。
根幹的なネタバレになりかねないので詳細は伏せますが、とにかく、我々はいつかの「おめでとう」に対して、改めて「ありがとう」と「さようなら」を言わなければなりません。
そして良くも悪くも、今後エヴァを超える作品は出ないんじゃないかと思っています。これは僕が別にエヴァが最強!エヴァが絶対!とかいうタイプの信者だから言ってるわけではありません。人生の一番最強の作品は別にあるし、何事も完璧はないのでエヴァだって探そうと思えばいくらでも粗探しできるワケです。しかして尚、僕は結構真面目に超えるものが出ないと思います。
映像の凄さや、作品の面白さ、コンテンツの収益。凡ゆる点でエヴァを上回る作品はドンドン生まれていくでしょう。しかし、人の脳裏に焼き付くという点で、人からエヴァを抜き去っていったという点で、この作品はある種の異質さを保ち続けます。
この作品は、シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇という映画を見た時点で過去になり、いずれ昔話になり、伝説になり、果てには神話になるのかもしれません。きっと、庵野監督が望んだのは過去になる、という点だけで神話にされることはまっぴらなのかもしれませんが、ともかく。監督も、視聴者である我々も、エヴァという呪縛から解き放たれるのが今作です。今気づいたけどコレ多分ダブルミーニングなんですよね、本編における。ウワッしまったまたやっちまった。クソ。早く全人類が見てくれ。やり辛くてしょうがない。
つまり昔旧劇場版で放った現実に帰れという部分がこれ以上ないくらいに回収されてるんですよ。
……少しだけ話が逸れて。ファンタジー評論等でよく言われる事なんですが、ファンタジーの基本は「行きて帰りし物語」です。神話から続く類型。基礎。夢とは覚めるものだ。というのが基本です。
ナルニアでは最後洋服箪笥からは帰還するし、フロドは役目を終えて中つ国から去る。
一方、フウイヌムの国から帰還したガリバーは厩舎で馬と会話するのが癒しというある種の廃人となった。
まぁ、つまり。優れたファンタジーは現実から逃避させるのではなく現実に一つ物語という土産を持って帰還するためのモノだ、という話なんですよね。(ガリバー旅行記は風刺の要素が強いのでオチもまぁそうなるというアレですが)
エヴァは旧劇場版でそれをやろうとした。しかしそれは押し付けがましく客観的に失敗に終わった。
でも今作では長年の呪いとも言える夢に終わりが来た。夢が覚める瞬間です。しかもチョー目覚めがいい。こっからスピンオフとか作ろうもんなら私はセンスがないですって喧伝してるようなもんですよ、
マジで。
そんなこんなで、シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇は、新世紀エヴァンゲリオンという作品は。これ以上ないくらいのエンディングを迎えたという、そういうことなのです。素晴らしい最後をリアルタイムで見れた事を誇りに思います。ありがとうエヴァンゲリオン。さようなら。それだけ言って終わろうと思います。

……でもある日突然黒背景の明朝体でサービスサービスと聞こえてきたら泣いてしまうのも事実なので、オタクは救えねぇな。ウン。

5.オマケ

映画でいうポストクレジット。小説でいう後書き。さんざ終わり方がどうの言っていたクセにすぐちょい足ししちゃう。オタクはすぐ掌を返す。だからダメなんだぞオタク。反省しろ。
この部分は映画を観に行った時にあった小話とか観終わった後の話です。が、それは本筋ではないって奴です。エクソダスはしません。
まず、映画観に行く前に最初に思ったのが「周りがうるさかったり動かれまくったりしたら嫌だな」でした。それなりに腰を据えて、しっかり観たかった本作。喋り声や身じろぎする音で集中力を削がれるのだけは避けたかった。だからちょっとお高いソーシャルディスタンスをゴリ守り貴族席でゆったり見ようとしたんですね。これならいけるだろと。多少左右前後がなんかしようと影響はないぞと。悠々と席につきました。画像がそれです。
しかし僕はエヴァという作品と、そのファン層、そして最終作という点全てを甘く見ていました。

コイツら誰も動かんし何も喋らん……

そう、上映前も上映後も何人たりとも動かない、喋らない。僕は一人で観に行きました。なぜなら友達がいないから。いや、それもありますが多数で観ると会話が発生するからと思ったからです。実際、僕が行った劇場にも数人で来てる人や果てにはカップルまでいました。しかし。

マッッッッッッッジで誰も喋らん

普通友達と来てたら少しは「楽しみだね〜」とか雑談があるはずなんですよ。彼氏か彼女かが付き合わされている場合なら作品の説明とか終わった後の話とかしててもおかしくないはずなんですよ。でも誰も喋らない。真っ直ぐに正面を見据えて今から来る「終わり」を覚悟してきている。ブチャラティ?
ともかく、あの場には「付き合わされてる」とか「なんとなく初見」とかいう人が居なかった。
仮にそんな人が居たとして、少なくとも初見勢がうかつに喋らない空気が形成されていた。重いわ。全員侍(さぶらい)なんだもん。喋れるかよそんな空気で。今から腹切りますって言われたら信じるよマジに。まぁ矢張りというかなんというか。25年という重み、その一端を見た訳ですね。それが良いのか悪いのかは知らん。初見には優しくないかも。でもあの場に初見で行く人いるんかな……いるんだろうな……。
終わった後もザワザワがなかった。結構どんだけな長期シリーズの最後でも、物凄いシリアスな映画でも感想とかトイレ行こうぜ的な話題が出てきますがそれもなかった。フゥー……とか溜息とか深呼吸はあったけど。
エンドロールで席を立つ人が誰も居なかったのも印象的でした。これが結構どの映画でもいて、僕は視界の端に動いてる人がいると集中力が途切れて余韻ぶち壊しになるのでやめて頂きたいんですけど(映画の見方は自由です。コレは僕が難儀な脳をしてるだけです)エヴァではそれが一切なかった。余韻がハンパないのもそうですし、宇多田ヒカルの主題歌がエグすぎるのもあったと思います。エンドロールでサプライズというか答え合わせもあって脳汁溢れまくったし。(これは明確なネタバレ。未視聴の人でここまで読む人いんだろうしいいだろの精神です。いないよね?)
あと、映画終わったあとしばらく宇多田ヒカルしか聞けなかった。強すぎ。やっぱつぇえわ。
つらつら描いてきて思ったのは、僕は映画視聴後に運良くすぐオタク語りできたから救われたけど、初日に見に行って感想を抱えてた人たち凄すぎ。無理でしょ、そんなん。多分その気持ちを抱えた時点で今世で積む徳は十分だと思うので安心して欲しい。あなたは立派に極楽浄土に行けます。信じなさい。

長々と書いてきたけど。書けばかくほど思う。
エヴァ終わっちゃったのか〜〜〜!マジか〜〜!!辛いけど納得するしかないもんなぁ〜〜〜うわぁ〜〜〜!!!うわぁ〜〜〜!!!
まだ少し引きずりそうです。One Last Kiss聴いてきます。みんなも聴こうぜってトコで。

おしまい。

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