子どもからの直球質問「どうして外国語を学ぶの?」「土台を広げるため」
わたしは今、日本で生活していて、子どもは地域の公立小学校に通っています。今の時代、小学校低学年から英語に触れ、高学年になると「科目」として成績が付きます。私のころは中学校1年生でABCから学んだものでした。ずいぶんと変わったものです。
子どもの直球質問
さて、先日、子どもからこんな質問がありました。
「どうして、英語(外国語)を学ばなきゃいけないの?」
「先生は英語できないと将来生きていけないよっていうけど、わかんないよ」
日本で日本語だけで生活しているのだかそんな質問が出るのだ。
考えが甘い
当たり前だ
と言われればそれまでかもしれません。
でも、事実として、彼の中では、納得がいっていないのです。
そして外国語を道具として使っている日本人として、そして親として、10歳やそこらだから未熟なのだと決めつけるのではなく、この質問にきちんと向き合う必要があると感じました。
今回は、少し過去をふりかえってみたいと思います。
子どもたちと外国語
母の外国語と方言拒否
日本で生まれ育ち、今も日本で過ごしている子どもたち。小さなころから、わたしが英語、中国語、関西弁で話すのを嫌がりました。外ではもちろん嫌がりますし、うちの中でもダメです。
理由はこんなところでした。
「お母さんがお母さんじゃないみたいだから」
「お母さんが外国語に乗っ取られた感じがするから」
「言っていることがわからないから」
ちょっと気持ちもわかるんです。自分が子どもだったころ、電話に出るお母さんの声は妙に高く、装っている感じがしてちょっと嫌だったこと。
とはいえ、「親子英語!」「バイリンガル教育!」「いい発音は子どものころから!」なんて広告が気になってきます。周りのお子さんでも英語教室に通う方は多いです。
わたしの外国語能力が中途半端だから子どもが嫌がるのか。小さなころ、環境を用意しなかったからか。自分の努力を見せていないからか。わたしは子どもが外国語拒否なのを自分のせいにしました。
子どもが起きるまでの時間と寝るまでの時間、子どもの習い事の時間、始業時間前、昼休みを利用してオンライン英会話を利用しました。外で英語を話すと、周囲からの冷たい目が心に刺さります。でも、わたしには、会社に行っている時間しか、英語を話す時間も場所もないのです。
この辺の英語コンプレックス克服の経緯については過去記事に譲ります。
火に油を注ぐ夫の行動
そんなころ、夫は「台湾出張のために中国語勉強するわ」と意気揚々と週1回中国語教室に通っていました。
悔しかった。
なんで私だけダメで、夫はいいんだよ!
英語だって、中国語だって、勉強したいよ!
保育園からの呼び出し呼び出しで頭下げてんだよ!
出張しない仕事になるように仕事セーブしてんだよ!
何回心の中で叫んだことでしょうか。英語も中国語も、関西弁ですら封印させられてるのに。不公平感が募っていきました。
中学生になって母の英語能力が見直される
そうやって、わたしは外国語を封印しつつ不公平感を募らせつつ生きてきたわけですが、変わりました。子どもが中学生になり、突然わたしの英語と中国語を認めるようになってきたんです。
理由はシンプル。子どもからの質問に答えられるからです。
英作文だって中1程度なら楽勝です。あっさり、母の影なる努力を認めた子ども。英語の質問は夫ではなく、わたし担当になりました。
人それぞれのペースがある
わたしも子どもも、心の成長を待つべきだったと思います。
「無理やり早期教育したって意味がないよ」
「人にはそれぞれ語学学習を始めるのにいい時期がある」
「バイリンガルではなく、日本語を母語として育てる」
日中カップルの友人がよく言っていました。
ようやく、友人の言っていることが心から理解できた気がします。
そんな折、冒頭の「どうして英語とか外国語を勉強しないといけないの?」という質問がありました。
いよいよ来たかって感じでした。
さまざまな方のご意見
さて、冒頭の子どもの質問についてTwitterで質問してみたところ、いろいろな方がコメントをくださいました。
さまざまなお答えがありましたが、
・小さなころからやっていた方がうまくなる
・必須じゃないけど、将来の幅が広がる
・ものの見方を変えられる
・多様性に触れられる
・世界で活躍できる
こんなところだったかと思います。どれも納得のご回答でした。この場を借りて、お答えいただいたみなさまにお礼を申し上げます。
子どもへのメッセージ
わたしの考え
英語に限らず、勉強一般に関して、「こんなこと勉強したって将来役に立たない」って思ったことありませんか?
逆に「こんなことしたって将来役に立たない」そう言われたことありませんか?
この令和の時代。ここで言っている「将来」って、正直誰もわからないものだと思うんですね。何が役に立つか、何が役に立たないか、やってみた後でないとわかりません。
3年前、外を歩くのにマスクが必須になると誰が想像したでしょうか?
オリンピックが延期になるって誰が想像しましたか?
でも、マスクが必須になっても、オリンピックが延期になっても、それぞれみなさん何とかそのときどきの状況に合わせて、適応して生活していくわけです。
さまざまなことを小さなうちにやってみる。自分の土台や幅を広げておくことが大切と思うんです。
外国語に助けられたエピソード
わたしはこれまでの人生の中で何度も外国語に助けられています。
大学院院試では英語の成績がことのほかよく、農学専攻でたった一枠の無利子の奨学金をゲットすることができました。
就職で上京し、研究開発の適応障害になってしまった時も英語がまだ少しはできたから、国際部門に拾ってもらえました。
英語コンプレックスがつらかったときも、中国語と日本語の力でモチベーションも保て、部内で存在感を発揮することができました。今だって中国人の同僚は「ねえねえ、路由器って日本語でなんていうの?」なんて上海から質問してきました。ITサポートと外国語を組み合わせれば、海外にいる同僚だって、頼りにしてくれるのです。
言語は一つの力になります。
ものの見方の幅を広げることが大切
わたしは関西で生まれ育ちました。標準語で話すだけでいじめられる始末。英語なんてきれいな発音だったらいじめられ、泣かされてました。
わたしは地声が低いのですが、母親にはもっと高い声で話すようにと言われて、内心嫌でした。
でも、英語では、低い声の方が成熟した大人っぽく信頼できる声だと知りました。中国語ネイティブの先生は、低くて知的で素敵だとほめてくれました。
日本語は女性の高い声が好まれますが、外国語は違うのです。
外国語を学ぶことは一番手っ取り早くものの見方を変えられます。
わたしは3言語だけですが、学べば学ぶほど、ものの見方の幅が広がるのです。
最後に
「子どもは子ども。親とは別人格」
外国語学習を通じて学べた気がします!
これからもどうぞよろしくお願いいたします!
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