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携挙のタイミングについて

ハーベストタイムメールマガジンより

携挙のタイミングに関する諸説

(1)携挙とは、教会(教会時代の真の信者たち)が天に挙げられることです。患難期(7年間)との関係で、携挙のタイミングに関して3つの立場があります。ちなみに、患難期が7年というのは、ダニ9:27から分かることです(「1週の間」が7年を指しています)。3つの立場とは、①患難期前携挙説、②患難期後携挙説、③患難期中携挙説です。

(2)患難期前携挙説は、教会は患難期の前に携挙されると主張します。つまり、真の信者は地上で患難期を通過することがないという意味です(1テサ4:13~18、5:9、黙3:10参照)。

(3)患難期後携挙説は、教会は患難期の終わりに携挙されると主張します。この説では、携挙と再臨が同じタイミングで起こることになります。つまり、信者は患難期を通過するということです。クリスチャンは患難期に向けた備えをすべきであると説教する人は、この立場の人です。

(4)患難期中携挙説は、教会は患難期の中間(3年半が経ったとき)に携挙されるというものです。つまり、信者は前半の3年半の患難期を通過するということです。この説の亜流として、「Prewrath rapture」(神の憤り前携挙説)という説があります。これは、携挙は第6の封印が解かれた後に起こるというものです(黙6:12)。地上に残された者たちは、「神の憤り」(ラッパの裁きと鉢の裁き)を通過するというのがこの説です(黙16:1)。

(5)筆者は、患難期前携挙説を採用しています。聖書を字義どおりに解釈すると、信者は患難期から守られると考えるのが最も整合性があるからです。筆者にとっては、携挙はこの時代を生き抜くための希望です。
 

2テサ2:3の解釈

(1)アンディ・ウッズ牧師(シュガーランド・バイブル・チャーチ)が、2テサ2:3に関して、貴重な提言をしておられます。筆者も、目が開かれる体験をしました。ウッズ師の解釈が正しければ、それは、患難期前携挙説が聖書的であるというもう一つの強力な証拠になります。

(2)「どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです」(2テサ2:3)。「主の日」とは、患難期のことです。この聖句の伝統的な解釈では、患難期が始まる前提条件として、①教会の背教と②反キリストの出現の2つがあるとされます。「背教」と訳されていることばは、ギリシア語で「アポスタシア」です。10種類ほどの日本語訳と英語訳を調べましたが、そのすべてが「背教」「反逆」などの意味に訳しています。

(3)ウッズ師の論点は、以下のようなものです。①「アポスタシア」ということばには、テクニカルな意味と一般的な意味がある。テクニカルな意味では、「真理からの逸脱」、「権威に対する反抗」を指す。この意味で「アポスタシア」を用いる場合は、「〇〇からの逸脱」という表現になる(使21:21)。一般的な意味での「アポスタシア」は、「departure」(現在いる所から立ち去ること、旅行などへの出発)を指す。②患難期の前に教会の背教が起こるというのは、そのとおりであるが、それは別の聖句から導き出される結論で、2テサ2:3はそれとは無関係である。③「アポスタシア」ということばが単独で用いられた場合は、「出発」(つまり携挙)という意味に解釈すべきである。④テサロニケ人への手紙第一と第二のテーマは、携挙である。「アポスタシア」を携挙と解釈することは、文脈から判断しても正しいと言える。

(4)この結論に基づいて2テサ2:3を再解釈すると、次のようになります。患難期が始まる前提条件として、①教会の携挙(アポスタシア)と②反キリストの出現の2つがある。これは、患難期前携挙説の主張と合致します。
 

まとめ

(1)携挙は、患難期の前にやってきます。つまり、携挙は今すぐにでも起こり得るということです。クリスチャンは、そういう心構えをもって日々歩むべきです。
(2)患難期は、反キリストとイスラエルが7年の契約を締結したときに始まります。
(3)「すぐに起こり得る」という状態を、英語で「imminent」と言います。これは、その前に起こらなければならない出来事がないという意味です。携挙は、今の時点と7年の契約締結時点の間のどこかで起こります。これ以上のことは、誰も知りません。もし携挙の時期を預言する人がいるなら、その人は偽預言者であり、偽教師です。
 

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