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Ep.1 知られていないマルジェラの美学。匿名性とは。


 私たちはマルタン・マルジェラについて多くを知らないのではないか。。。。。

 ※明日から周りのファッションが好きな人に話したくなるようなことをここでたくさん発信していきたいと考えている。ブランドを知りたいという方にも順序だてて説明していくので安心して読んでいただきたい。




1ジェニー・メイレンスとマルタン・マルジェラの出会い

 1983年ジェニーはベルギーのゴールデン・スピンドル・アワードというアマチュアのデザイナーが作った服を発表しあう大会の審査員をしていた。彼女は「クレア」という会社を経営しておりそこには、クロードモンタナ、ヨウジヤマモトも取り扱いがあった。(※モンタナは80s 90s パリで活躍したデザイナーでディオールのクリエイティブディレクターに推薦されるほど実力があった。それを断りランバンのオートクチュールを担当し、デドール賞受賞)その大会で優勝したのはアントワープシックスの一人、DIRK VAN SAENE だったが、ジェニーはマルジェラを強く推薦して一週間彼女のブティックで服を売った。それが二人の初めての仕事での共演だった。

翌年、ベルギーにコムデギャルソンを展開しようと考えたジェニーは、東京にきて川久保玲に会いに行った。ジェニーは全身マルジェラでいったらしい。(取引先に媚を売らずに全く違うブランドで行く強気な姿勢がとても素敵な考えだと感じる)その服をみた川久保玲はマルジェラの靴に魅了され一足受注したという。マルジェラは自らのファッションへの道を選択するうえでインスパイアされた人物の一人だったので大変喜んだという。

 1998年にコムデギャルソンとのコラボレーションを行ったマルジェラだが、このように、背景には川久保玲がマルジェラの服作りを自他ともに認めていたからこそのというのが改めて理解できる。(マルジェラはデザイナーになったきっかけをコムデギャルソンの影響も大きいと述べていることから)

2ジャンポールゴルチエの下でのアシスタント

 1980年にアントワープシックスの有名デザイナーたちが卒業する前年、79年にアントワープを卒業して数年ベルギーのコートメーカーであるBartsonsで働いたのち、パリに拠点を変えたマルジェラはゴルチエの下で働くことを決めた。アントワープアカデミーの陪審員をしていたゴルチエはマルジェラの才能を感じていました。ゴルチエが弟子は必要としていないと断るも、マルジェラは一緒に働きたいと主張し、受け入れ三年間ともに仕事をしたという。マルジェラがのちの自分のブランドでやろうとしていたことの多くは、ゴルチエの下で学んだものである。。。この時代はメディアというものの発達による最初の世代だった。。そこでマルジェラは、匿名性を選んだ。


匿名性はマルジェラがトロンプ ルイユ(だまし絵)への古典的な美に対する思いと愛によるもので、神秘的なクリエイティブの神話と魅力を信じて永続させたいという思いがある。


3マルジェラのショーの裏側


後日アップします。。。。。。


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