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アレッサンドロ・ミケーレの表現するジェンダーレス

GUCCIの今のブランドイメージは動物。植物。ゴージャス。レトロ。ヒッピー。など様々思い浮かぶ。このイメージを作り上げたのが15awからコレクションを担当しているアレッサンドロ・ミケーレだ。(以下ミケーレ)

ミケーレを知るうえで大切なワードは、家族 性 夢 実験的なショー ジェンダーレスというテーマで今回はざっと紹介させていただく

美の起源は父親のモノづくり

彼の美意識を開花させたのは両親の影響が大きい。

父はイタリアで航空技術師をしており何かを生み出したりする能力にたけていた。父はよく彫刻を作り、時には楽器で演奏してくれたり美術館に連れて行ってくれたりした。ミケーレはそこで古代ローマの魅力に引き込まれることになる。(ルックでも歴史的建造物が使われている)

次に母は美に情熱を持つ映画産業で仕事をする女性。母はよく素敵な恰好をして映画スターと遊びに行っていたのをミケーレはとても感動していた。さらに母は映画の百科事典のような人だといっており映画のことなら何でも知っていた。ミケーレは映画から感じる記号を自らの美学と結びつけて考えコレクションに落とし込んでいる。

物議を醸すコレクション

ミケーレのコレクションは派手で何かと物議を醸す印象があるだろう。人種差別だと捉えられたり、女性の体についての自由を訴えたり毎シーズン注目すべきポイントの一つだ。ミケーレがそこまでセンシティブな表現をするのには服の持つ力を信じていることがある。さらにもう一つ強いメッセージを表現する意図は次の理由からだ。

「女性的な世界を感じられるものを愛している」

これはどういうことか。ミケーレは同性愛者であり、小さいころからそれを種にいじめられていた。しかしミケーレには自分が美しいものを信じられる強い美学があり、その強い信念がミケーレの素直で正直なままランウェイで遺憾なく発揮されている気がする。

ミケーレは服には社会性や政治的な問題を含めることもできるし、着る人に自分が変われるイメージを持たせることもできる。ファッションは常にユニークでなくてはならない。と述べており、彼にとってのショーは実験的な映画でなくてはならなかった。つまりどういうことか、決してモデル選びにも手は抜かない。彼が思い通りの個性的なモデルを使う。そして会場は映画セットさながらの作りこみ。そしてふさわしい場所選び。観客はゲストと呼びすべての人間を取り込んだものにしたいという。ミケーレはそうすることでルールや固定観念を壊せると信じているからだ。それを壊せばお互いの距離が縮まり、一緒に生きることができるという。

性の曖昧さ

ミケーレは常に自由を求める。男性の服には制限が多くカタい世界。それを壊し新しい世界を作ることで強制力からの解放の気持ちよさとその分のシャウトが生まれ男女の垣根を超えた表現を可能にする。ミケーレの求めるクリエーションはそこにある。
彼にとって男らしさとは自分の中にある女性らしさでありすべての人間はフェミニシティを感じなくてはならない。すべては女性から生まれ誰しも女性の一部。(これは物理的に子宮から生命が誕生することも含まれる)

ミケーレの表現するジェンダーレスとは単に女性の服を男性用にするのではないし(逆もしかり)、異性らしくふるまうことでもない、それは社会規範の解放を意味すると同時に誰もが持っているであろう深層部分の美である。

私的考察

私たちが洋服で感動する瞬間は様々あるがその一つで違和感というのは魅力の一つだと思う。女性がポケットに荒々しく手を突っこむ姿。男性がジルサンダーのスカートをはいているルック(このたとえは少し限定しすぎた)いずれにせよこれらは唐突にハッと感じさせるものがあると私個人的に思う。性の曖昧さは非日常を上手く利用した美学のように私は捉えている。

ごめんあそばせ

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