見出し画像

フェアリーアンクルの鈴村さん【4】

これがおまえらのやり方か!

それは5月に入ってから知らされた事実だった。同じグループに正社員が2人異動してきて、わたしの仕事はその2人に引き継ぐことが決まっていた。完全に蚊帳の外だった。どういうことだ。わたしは当事者ではないのか。

人生で初めて、「これがおまえらのやり方か!」と本気で叫んでやろうかと思ったけど本能よりも理性が勝った。これこそ長年鍛え上げた自制心の成果。しかし、本音をさらけ出せない小心者ともいえる。ならば言おう。「拙者は流浪人るろうに。また流れるでござるよ」と。よし、イケる(何が)。

さて。今回異動してきたうちの1人は既に定年を迎えた再雇用中の女性で丹波さんといった。話し方もゆっくりで言葉というか単語が出てこないことが多く、パソコンや新しいシステムを覚えるのが苦手。有名な和菓子屋で毎月一日限定で発売される朔日餅ついたちもちを楽しみにしていて、お昼休みに買いに行く姿を見かけたことがある。

もう1人は早口で自分の言いたいことばかりをまくし立てるマシンガントークの上島さん。こちらに口を挟む余裕を与えず、同じ空間にいると酸素が薄くなるのか息苦しく感じることがある。上島さんもあと5年もすれば定年になるとかで、そのことを口グセのように繰り返すところがあった。知らんがな、と言いたいところを我慢せねばならないのでこれもこれで疲れる。

2人は同じ部署からやってきたので付き合いも長いらしく、加えてわたしとも顔見知りの間柄だった。だってすぐ隣りのグループから移動してきただけだから。引き継ぎが楽だと言われれば楽なのかもしれない。だけど、それは時と場合によりけりで、かえって妨げになることも多い。……例えば?

社歴は長いけど経理の仕事に関しては2人とも初心者。できるだけ丁寧に時間をかけて引き継ぎをしたいのに、「何とかなるでしょう」と途中で切り上げられてしまうことが多い(主に上島さん)。2対1、正社員と派遣社員、加えて無駄な争いを好まない平和主義なわたし。そう言われてしまえば引き下がるしかなかった。

しかも2人はわたしが解雇される理由について、「正社員が2人増えるので派遣社員を雇う必要がなくなった」と説明されたという。……だから、言い方!例え事実だとしても(事実なんだけど)、もっと当たり障りない言葉はなかったのか。これでは2人のせいでわたしが仕事を失ったと聞こえるじゃないか。

そんなわけで仕事の引き継ぎは大部分において気まずかった。どう考えても気まずすぎるでしょう。2人もわたしに気を遣って、上島さんなんて京都のお土産にお香のセットをくれるという気の遣いよう。

おかげでわたしの返報性の原理が変な方向に働いて、「何とかなるでしょう」と言われるとこっちがしつこいとか悪い気になって更なる気まずさが芽生えるという悪循環。誰か止めてくれないか(マジで)。

ここではないどこかへ行きたいとき

「いつも降りる駅で降りるのをやめて終点まで行くとそこは海だったとか、よくあるじゃない?もしくは、全然知らない町に行くとかさ。わたしの場合、会社で降りる駅が終点だから全く意味ないんだけど。わかってるんだけど一回やってみたい」

『そう思うなら行動してみるといい』

会社帰りに買ってきたケーキを冷蔵庫から取り出して戻ってくると小さいおじさんがテーブルの上にいた。わたしの40歳の誕生日のお願いを叶えるために現れたらしいけど、それって最初の一回で叶ったことにはならないのだろうか?

この小さいおじさんはこれからわたしがスイーツを食べようとするたびに現れるわけ?とりあえず外で遭遇したことはないから、ということはこの部屋限定なわけ?ここに棲みついてるわけ?

なんて考えながらケーキを包んでいる透明なセロハンをはがす。今日はココアとバニラのスポンジが市松模様になったダミエケーキ。チェッカーボードケーキ、サン・セバスチャンケーキなど呼び名はたくさんあるらしいけど、わたしの地元のケーキ屋ではダミエの名前で売られていた。

白と黒のスポンジをコクのあるバタークリームでサンドして、外側はパリパリのチョコレートでコーティング。いつもならバタークリームは重くて苦手なわたしもダミエだけは特別だった。

今日買ってきたのは有名お菓子とのコラボレーションとかで、トップにザクザク歯応えのあるクッキーがのっている。美味しいものと美味しいものをかけ合わせたら美味しいに決まっているじゃないか。

フォークなんて使わずこのままかぶりついてしまいたくなるけど小さいおじさんがすっごい見ていた。当然自分も食べれるんだろうと言わんばかりに、ものすっごい見てくる。前にその目は月のない夜に似ていると思ったけど、今日の小さいおじさんの目はキラキラして見えた。角度によって光の入り方が違うのかもしれない。

仕方がないのでケーキの一角を切り、「どうぞ」とフォークの背で小さいおじさんの前に寄せた。ちょうどまる角砂糖と同じ大きさのそれを両手で持ち上げる。その姿はまるでアシ○カがデイダラボッチに首を返すアレに似ていた。おっと、そこに紐つくか。そんな自分がおかしくて愛おしくて、おかげでちょっと心が温まった。

「どうにかなるとか仕事は少ない方がいいとかすぐ言うんだけど、まず先に仕事を覚えてくれないかな。おかげで引き継ぎがちっとも進まない。覚えた後でなら何やってくれてもいいから、とにかくしのごの言わずにやれよ」

とは、言えない。わたしも言葉を優しく包むことが苦手だった。だから、せめて正しく言わなくちゃ伝えなくちゃとそればかりが先走って心というものをどこかに置き忘れてきて、結果、キツイ言い方になってしまう。

「あと、語尾に“にゃ~“てつける話し方も嫌。なんかバカにされてる感じがして。仕事中なんだから普通に喋ってくれないかな。いくつだよって感じ」

これは上島さんのことだった。こっちは真剣に話しているのに、まるで子どもを相手にするかのような言葉遣い。しかも、周囲の人にわたしの派遣期間がもうすぐ切れると言いふらしているらしい。

……いや、事実なんだけど。でも、まだ本人が言わずに黙っているんだから勝手に言いふらさないでほしい。思いやりとかないわけ?あと、自分が趣味で作った手芸の何かをもらっても困るだけだから、「好きなの選んで」とか言わないでほしい。断るという選択肢がないのおかしくないか?

『あんたも律儀だな』

「傷つけずに断るという術を知らないだけだよ。あと、NOと言えない典型的な日本人ってだけ」

わたしがいなくなった後、何を言われるかわからない。それが怖かった。自分が関与できない所でいわれる言葉の方が純度が高い気がするから。だって、わたしはそれを否定することができない。そして、それはその場にいる人の「真実」になる。そのことがただただ怖い。

「もう自分には関係ないって割り切れたらいいのにね。捨てれば楽になるんだろうに」

だけどそれはこれまで頑張ってきた自分を捨てるようでもあって、それもまた怖かった。こんな歳になってもまだ自分探しのような青くさいセリフを口にする自分も受け入れ難い。だって、そんな柄じゃないから。そういうファイティングなドリーマーはキラキラしている人の特権だと思う。

小さいおじさんはダミエに直接かぶりついて頬を膨らませていた。その姿を眺めているとわたしもフォークなんて使わず手に持って食べたくなる。子どもの頃みたいに。だけど結局はフォークでお行儀良く食べてしまう。誰も見ていないのに(小さいおじさんはいるけど)。

わたしは誰の目を気にしているんだろう。

『自分がどう思われているか考えるのは悪いことじゃないさ。ただ、あんたはもっと自分がどう思っているかを受け入れた方がいい』

目を上げると小さいおじさんがダミエを食べ終えていた。口の端から斜め45度に筆ではらったようなチョコの線がキレイにのびている。言うべきか言わざるべきか。まあ、さほど問題ではないのだけれど。

そんなわたしの思いと視線をどう受け取ったのか小さいおじさんはお皿の上に残っているダミエを見つめた。それを見てわたしは今度は白いバニラ生地の方を分けてあげる。小さいおじさんは両手でそれを口元へ運んだ。その姿を眺めながらわたしもケーキを食べる。フォークで。

自分がどう思うかを考える、か……。確かに、どうせわかってもらえないからと諦めて言葉にすることをやめてしまってから、わたしはいろいろと鈍くなっているような気がする。何が好きで何が嫌いとか。わからないから正体不明なモヤモヤばかりがたまっていく。

「もしかしておじさん、わたしのそういうモヤモヤを聞いてくれてたりする?」

聞こえたのか聞こえなかったのか。わたしも声に出したのか出さなかったのか。2人(?)しかいないこの状況でそれを確かめることはできない。だけど、この不思議な状況についてどう思うかを考えてみたら、そういう結果にたどり着くわけで。

だとしたらここは素直に受け入れるべきか……?
まぁ、やっぱりたいした問題じゃないんだけどね。

ダミエ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?