バラエティの一般著名人の出演の変化について思った
子供の頃を振り返ったとき、一番よく見てたなと思うテレビ番組は日テレの「行列のできる法律相談所」だったと思う。まだ番組名に"法律"が冠されていたときだった。(現在は 行列のできる相談所)
カンボジアに学校を作ったり、井戸を掘ったり、トライアスロンやったり、芸能人の作品をオークションしたり
レギュラー出演する弁護士軍団の対立構造が面白くて好きだったなぁ と
また、リアルタイムで見たかったなぁ と残念に思うレジェンド番組が「マネーの虎」
20年ほど前に放送されてた番組で、大物実業家(超金持ちおじさんたち)が出演し、融資を受けるために事業計画をプレゼンする挑戦者をメッタメタにしていく番組
虎たちの強烈な個性がインパクトを与え、伝説的な番組となっている
これらの番組に共通することは タレントではない著名人の個性が重要なピースになっている こと
(一般人 や 素人 と呼ぶには言葉足らずなので彼らを一般著名人と呼ばせてほしい)
芸人をも圧倒するような存在感や歯に衣着せぬ発言は唯一無二
現在放送されている番組で似たようなものがあるかと考えると、ジョブチューン(TBS)の料理ジャッジ企画が例にある
チェーン店やコンビニの料理を一流料理人が試食し合否を判定する企画
感想として、料理人からの厳しい言葉もあるが全体的に優しい表現が多く感動的な展開にまとめられていることが多い(そういう演出なのかもしれない)
強烈な個性のフューチャーや放送事故スレスレの激しい言動は明らかに減った
理由として考えたのは、
①SNSの力によって簡単に炎上させられるようになったから。(炎上というより放火に近いケースもある)
視聴者の言葉がフィルターを介さずに直接出演者に届くようになったため、メディアでの発言が叩かれる対象であったタレントのみならず、一般著名人も叩かれる対象になってしまった
この企画に出演していた料理人が「見た目が良くないから食べない」と言う要旨の発言をし、試食せずに合否判定したことで話題になった回があった。料理人に対する批判コメントが生まれ、その方の店の評判にまで影響してしまっていた。
②コンプラに縛られた万人受け狙い
審査員が厳しい言葉で審査をすると、「上の立場の人間が強い口調で否定する」という構図が形式的に取られてしまう。
一般的な認識が エンタメ→パワハラ と変わってしまったのではないかと思う。
愛のある感情を込めた言葉は、切り取られた文面上ではただの否定的な言葉に成り下がってしまう
(内容の軸をブラさずに共感性を高めるのが演出の仕事ではないかと考えている。)
批判からの保身とポップさの迎合がこのような演出になったのではないかと感じる。
TBSの「東大王」に出演する東大生のいわば一般著名人である。あの番組では、東大生たちの圧倒的な知識量からなるカリスマ性や、クイズに対する熱量にスポットを当てることでうまく成り立っている。
その他の一般人が出演する番組は、テレ朝の「激レアさんを連れてきた」、中京テレビの「オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。」、TBSの「マツコの知らない世界」が面白い
激レアさんは、一般人ゲストの珍行動にツッコミを入れながらもその人自体を否定することはなく面白さを引き立たせている。変わり者をからかって笑いのネタにするような、いわゆる教室内のカーストお笑いではない。演出方法の優しさや、MCのオードリー若林さんの姿勢がそうさせているんだと思う。
オドぜひは、前述した若林さんのスタンスに加えて、環境づくりが和ませている。ゲストの一般人は基本的に野放しで好きにやっている。だからこそ遠慮ない姿勢が面白く、タレントを上回る爆発力がある。それを実現させるのも、何をやってもタレントがまとめてくれそうという安心感である。
マツコの知らない世界では、マツコさんとゲストが1対1の構図になっている。番組に招く側招かれる側という観点では一般人がゲストだが、マニアックな趣味を紹介する側される側という観点ではマツコさんがゲストになる。そこに上下関係はなく、マツコさんの常識のあるフランクさがそのスタンスを際立たせている。
ここまでダラダラと語ってしまったが、バラエティーでの一般著名人には様々な出方がある。
時代の変化に合わせて、素材の鋭さを見せる演出から素材を優しく包む演出に変化した部分が多いように感じる(もちろんすべてではない)
時代の流れを感じながらも、演者が損をせずに最大のエンタメを提供できるスタンスを勉強していきたい
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