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音楽家の心を守るため今必要なシフト

何故シフトが必要なのか

コロナ禍においても音楽制作を継続するために多くの音楽家が創意工夫を始めてから1年近くが経ち、一部の音楽家は緊急避難的に自宅での録音やリモートレコーディングに対応しました。しかし、レコーディングスタジオでしか生まれないものは多々あり、二度目の緊急事態宣言が発令された今も可能な限りの感染対策をしつつスタジオでのレコーディングは継続されています。

全ての音楽家はレコーディングによって素晴らしい音楽を生み出したいというモチベーションと、ウィルスの感染を拡大させてしまう、または自分自身が感染してしまうことへの不安感の間にいて、この精神的負担はゼロにすることは出来ません。

ここで問題となるのがこの負担の大小が人それぞれであることです。全く気にならない人もいれば基礎疾患を持っているなどの事情で非常に警戒している人もいるでしょう。その中で最も避けなければならないのはレコーディングセッション自体が誰かのストレスになることです。

誰も気にしていないのにセッションを自粛することもストレスになりますし、自分は物凄く不安を感じるが同調圧力に負けてセッションに参加せざるを得ないというのも大きなストレスです。それと同時に仕事が減ってしまう、無くなってしまうかもという不安も大きなストレスになります。だからこそ、音楽家がストレスをなるべく感じずに音楽制作を継続できるようにシフトする必要があるのです。それも一時的な避難ではなく、恒久的なシフトです。

これは生き馬の目を抜くビジネスの話のような側面もありますが、それ以上に健康と持続性のトピックだと考えています。

従来のスタイルからの脱却

レコーディングスタジオで素晴らしい音楽が生まれるのは疑いようのない事実ですが、何故レコーディングスタジオがその力を持っているのかを分析して理解するところから始めます。

・円滑なコミュニケーション
・設備(容積、機材)
・演奏と録音とディレクションの分業
・時間の制約と緊張感

一つずつ見ていきます。円滑なコミュニケーションについてはSource-Connect NowやListento、VST Connect、SYNCROOM、Zoomなどである程度解決出来ますが、マシンの内部ルーティングやネットワーク設定等ある程度技術面の対応が求められます。奏者、作曲家、エンジニア、ディレクター等全ての立場の人間が対応することが重要です。誰かが対応しなければリモートは成立しません。

2点目の設備に関しては解決策が有りません。特に、ストリングスセクションのように大人数を収容したりドラム、打楽器のように広大な空間が必要とされる楽器は今後もレコーディングスタジオでしか録音出来ないでしょう。逆に言えば、狭い空間で一人で録音出来る楽器についてはスタジオで録る必然性は薄れます。

3点目の演奏、録音、ディレクションの分業はテクノロジーの力を借りれば可能ですし、既に実践されている方も多数いらっしゃると思います。上述のコミュニケーションツールを使い、マイキングへの指導やDAWのオペレートはエンジニアがセッションに同席することで解決済です。ただ、実践に関する知見がシェアされていないため集合知になっていないのが現状です。

4点目の時間の制約と緊張感も解決策がありませんが、リモートでの同期コミュニケーションでの録音であれば近い緊張感を持つことは可能かもしれません。また、非同期での録音であれば慣れてくれば逆にリラックスして納得の行くテイクが録れるという利点もあります。

このように解決出来る問題と出来ない問題に分けることが出来たので、ここからは解決出来る問題への対策を掘り下げます。

演奏家は録音に関する知識と技術を磨く

昨年多くの演奏家が宅録に対応しました。また、元から対応されていた方も多数いらっしゃいました。仕事の継続という観点で見ても今後も積極的に宅録への対応を進めることは重要なことだと考えますが、昨年が宅録可能な環境にする一年だったとしたら今年は宅録の質を高める一年になるのではないでしょうか。下記の記事におけるレベル∞を目指す段階に来たのではないかと思っています。

例を挙げると、LAのチェロ奏者Tina Guoの宅録はそのままハリウッド映画の中で使用されています。彼女の動画を見るとDAWやレコーディング機材に関する知識と、自分の楽器の録音に最低限必要な機材をトップクラスの水準で揃えていることが分かります。必要最低限の機材というのは言い換えると、チェロだけしか録らないのであればボーカル用のマイクは要らないということです。

一方で、高額なマイクやマイクプリが無ければ良い音を録れないという誤解もなくさなければなりません。ソロ楽器であれば知識と技術、経験さえあればそこそこの機材と部屋環境で十分なクオリティのレコーディングが出来ます。自分の楽器を録ることだけを考えれば良いので、レコーディングエンジニアになることよりも格段にハードルは低いです。

ここで一つ注意したいのですが宅録だけで仕事をしようという話では全くありません。ただ、どこに居ても音楽の仕事ができるように準備することが重要なのです。十分に慣れてきたら単身でスタジオに入りそこから作曲家やディレクターに向けて配信を行いながらレコーディングするというのもリスク低減には有効でしょう。

作編曲家はモックアップのスキルをもっともっと高める

宅録を追求したとしても、前述の通りドラムやオーケストラ等解決出来ない問題が残ります。ドラムについては宅録+トリガーやMIDIドラム録音といった手軽な代替案がありますがオーケストラについてはそれが無いため、MIDIモックアップによる下支えは今までよりも格段に重要になります。打ち込みはデモではなく、宅録と合わせるための重要な素材になります。ソロレコーディングは何回重ねてもセクションにはなりません。

これもまた打ち込みで音楽を完結させようという話では全くなくて、レコーディングが出来なくても素晴らしい音楽を生み出せる準備をするのが重要だということです。「これならもう録らなくていいじゃん」と言われるようになってからが本番です。

エンジニアは宅録素材をスタジオ録音の素材と同等に扱える技術を探し続ける

宅録をどこまで追求しても「スタジオならこういう音で録れたのに」ということはあるでしょう。特にドラムやオーケストラ等、容積や人数を必要とする楽器であれば顕著です。これらをスタジオ録音と全く同じ音にすることは出来ないため、近づけるための技術を開発し続ける必要があります。

勿論コロナ禍以前も宅録や打ち込みは盛んに行われていましたが、より一層どんな素材が届くか分からない時代は加速していきます。エンジニアは最高の素材を最高のミックスに仕上げるスキルと同時に、最善ではない素材を最善のミックスに仕上げるスキルをこれまで以上に磨く必要があると考えます。

それと同時に、演奏家が自宅での録音を改善するためのアイデアや技術の啓蒙に前向きになって頂けると日本の音楽業界全体のプラスになると思います。機材の情報は溢れかえっていますが、重要なのはそれをどう扱うかを広めることです。

プロダクションはレコーディングセッションを組む際にコストと効果だけでなくリスクまで考える

ここまでのことを音楽家達が徹底することが出来ればレコーディングスタジオでなければ実現できないことはかなり減ります。そうなった時にプロダクションに求められるのは今レコーディングスタジオに人を集めることで得られるメリットはリスクに見合ったものかという考え方です。これまでであれば金銭面のコストさえ注意すればレコーディングをするという判断は出来ましたが、感染の状況とスタジオに集まらなくても出来ることを天秤にかける感覚が必要です。

やるべき収録は当然今後も継続すべきですしそうしなければ生まれない音楽があることを我々は知っていますが、必須ではないセッションのために今後も人を集め続けるべきなのかは慎重に考えたいところです。

持続可能性のために

最初に書いた通り、音楽に携わる人間の心を守るためのシフトなので無理をしてしまうと持続することが出来ません。

機材に対する金銭的な投資や技術に対する時間的な投資を昨年多くの音楽家が積み重ねてきました。それは財産なので、安売りしてはいけません。

奏者であれば自宅はスタジオとして考えるべきですし、宅録をする時は自身のことを奏者であると同時にエンジニアと捉えるべきで、その価値を説明し対価を受け取らなければなりません。「自宅だから場所代はタダでいいよね」というのは搾取になってしまいます。勿論、対価を要求するからには音で示す責任が伴います。

作曲家も、優れた打ち込みには対価が発生すると理解するべきです。作業にかかる時間だけでなく習得に費やした時間もまた価値を生んでいます。作曲家でも編曲家でも演奏家でもない、モックアップを巧みに作るだけのポジションもメジャーになってきて然るべきだと思います。そういう意味では自分でバイオリンとビオラを弾きつつモックアップも作ってレイヤーして納品出来る奏者などは有利でしょう。こちらも対価を要求するからにはそれなりの音で示さなければなりません。

まとめ: スタジオに集まらなくても出来ることを増やす

スタジオに集まらなくても出来ることを増やせば、音楽家のメンタルと仕事を守るだけでなくより自由な音楽制作へと繋がります。スタジオに集まることの素晴らしさを我々は骨身にしみて理解しているからこそ、それだけではないという選択肢を積極的に増やしていくこと、言い換えると音楽産業に携わる全ての人間のレベルアップが今必要なシフトだと僕は考えます。僕も引き続きノウハウを共有していけるよう努めます。

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