オーディオオカルトで争わないために
本記事はオーディオオカルトを否定するものではなく、オカルトを愛するクリエイターとそうでないクリエイターが無用な言い争いをせずに共存出来る考え方を提示するものです。
はじめに
まずオーディオオカルトで揉め事が起きる理由は、ある機材、グッズ、サービスがオカルトでないことの証明が極めて困難であることです。オカルトでないことの証明は悪魔の証明と言っても過言ではありません。
そしてオーディオオカルトで揉め事が起きるタイミングは次の2つに集約されます。
オカルトにハマった人が信仰心を他の人に押し付けようとする
オカルトに与しない人がオカルトにハマった人の信仰心を否定する
この争いを避けるためにはオーディオについて次の4つの違いを理解する必要があります。
データ上で差が出ること
耳に届く音に差が出ること
音の差を人間が感じ取ること
精神面の充足感を得ること
これらは一見繋がっているように見えて実は明確に切り分けることが出来、理解することでオカルトとそうでないものの境界線を判断する力が養われます。
データ上で差が出ること
デジタルデータ上で差が出ればこれは音が変わったと言えます。例えば64bit/768kHzで作られたマスターとそれを32bit/384kHzにダウンコンバートしたものはデータ的に別物になります。
他にも、打ち込みの楽曲がバウンスの度に微妙にMIDIの発音タイミングがズレたりしてもデータ上に差が生じますし、DAWによって64bit floatでエフェクト処理を行うか32bit floatでエフェクト処理を行うかでもバイナリエディタで比較すれば01の羅列に差が生まれるでしょう(実際には16進数かも)。
一方で、zipファイルの圧縮解凍で情報が欠落することはありません(あってはならない)し、外部ストレージと内蔵ストレージの間でファイルコピーを何度繰り返してもデータは変わりません(変わってはならない)。
デジタル領域では何をやれば差が出て何をやれば差が出ないかを理解するのが重要です。これはアナログの世界の話よりは理解しやすいことが多いです。エンジニア(オーディオではなくIT)の方であればこのあたりは手にとるように把握されていると思います。
もっと厳密に言えば
差が出る確率が0である
差が出る確率が0とは言い切れないが極めて低い
差が必ず出る
の違いは理屈で説明出来ます。2つ目をどれくらい無視するかは人によりますが、オカルトにハマりやすい人は下の2つを混同する傾向があります。
耳に届く音に差が出ること
こちらは完全にアナログの世界の話です。デジタルデータ上で差があったとしても、それを再生する環境にその差を表現する力が無ければ耳に届く音に差は生まれません。例えば地下鉄のようなうるさい環境でスマホスピーカーで音楽を聴いたとしても、量子化雑音のような非常に小さい音は勿論、ほとんどの情報を聞き取ることが出来ないでしょう。
スピーカーやヘッドホンももし20kHz程度で減衰していくような周波数特性のものを使用していれば、いくらデータ側に48kHzや96kHzまでの情報が含まれていたとしても正確に再現することは出来ないでしょう。
再生環境の能力によってデータの差異が吸収されてしまうことがある一方でデジタルデータ上全く同じものだったとしてもそれを耳で受け取るまでのアナログ経路が変われば音が変わります。
首の角度を1度動かせば耳に届く音は変わりますし、極端な話服を着替えても髪を切っても、部屋の中にペットボトルを一本置いても音は変わります。スピーカーの下や上に物を置いても音は変わりますしラック機材を1U買い足しても音は変わります。他にも、室温や湿度を変えると音速が変わるので音が変わります。もし電源が0.01V揺れたとしたらやっぱり音が変わります。つまり、耳に届く音というのはいつでも何らかの要因によって変わり続けています。
音の差を人間が感じ取ること
ここまではデジタルの世界では音に違いが生まれた時に原因を特定しやすいこと、アナログの世界では何をやっても音に影響があることを説明してきました。
ところで、デジタルデータ上またはアナログ世界で生じた音の差を人間の聴覚は果たして捉えることが出来るのでしょうか?
これが最も重要な問いかけであり、オカルトを信じるか否かを分けるポイントです。
人間の脳は非常に優秀であり、同時にひどくいい加減です。音が変わったと思い込めば聴こえ方が変わります。音が変わったと思い込むためには音が変わる理由を提供する必要があります。この理由付けには
実際に違う音を聴かせる
音が変わる理由を説明する
この2つの方法があります。
前者は音がどう変わったのか、何を比べているのかリスナーもテスターも知らない状態で試聴する(ダブルブラインドテストと呼ばれるアレ)試験法を使うのが最も厳密でしょう。
一方でどのタイミングで条件がどう変化するのか明示されている比較は、音が変わる理由を説明していることになります。どの機材がいつ切り替わるか分かった状態での比較をブラインドテストと呼ぶ人もいますが、それはブラインドテストとしての効果を保証しません。
例えば、
これらはいずれも音が変わる理由の説明です。これらの前置きがなされると、人間の聴覚は正確な判断が困難な状態に陥ります。もっと言うと「こう変わるに違いない」という先入観に沿った聴こえ方になります。
音が太くなる/解像度が高くなる/クリアになる/艶っぽくなるに違いないという期待を抱いて機材を比較試聴したことは誰にでもあると思いますし、そのイメージ通りに聴こえたこともあるのではないでしょうか。
デジタルやアナログの世界で生じた音の変化量を何となく定量的に見積もることが出来、なおかつ脳の処理能力といい加減さをふんわり理解している人は、この「デジタルデータ上またはアナログ世界で生じた音の差を人間の聴覚は果たして捉えることが出来るのか?」という問いに対しどこまでがイエスでどこからがノーか冷静に見極めようとします。
精神面の充足感を得ること
データ上で、またアナログ世界で音が微妙に変化したとしてそれを人間の感覚器官が拾うことが出来なかったとしても、違いがあると思い込むことで人間は幸福感を得ることが出来ます。病は気からの逆です。
そして先述の通り、違いを見出すタイプの人間は自身の聴覚に対して自信を持っています。オーディオオカルトとはある種自分自身の耳の能力に対する信仰でもあるがゆえに、「それはオーディオオカルトだ」という外野からの指摘は自分の能力の否定だと捉え、時に反論に出るのです。
他人を改宗させようとすることがナンセンスであるのは宗教だけではなくオーディオオカルト界でも同様です。だからこそ、オーディオオカルトを信じる人も信じない人も、信仰を批判しなければ平和は乱れません。
果たしてオーディオオカルトは悪なのか
これは人によると思います。音楽制作は気分に大きく左右されるものですから、オカルトによって気持ちよく作業出来るのであれば間接的に成果物の良し悪しに現れることもあるかもしれません。
鰯の頭も信心からと言いますし、良い音楽が生まれるきっかけになるのであればオーディオオカルトには意味があると思います。
オーディオオカルトの副産物
ハードウェア機材を沢山持っていると音以外のメリットとして絵的に映えるのは間違いありませんし、ただ集めるだけで音楽制作に詳しくないクライアントからの信用に繋がるのは共感して頂けるのではないかと思います。
そしてそのために認知度、普及率の高い機材(1176やU87等)を買い集めるのも有効ですが、一方で何故効果があるのか疑わしい怪しげなアイテムを買った方が却って拘っていること、違いのわかる人間であることをアピール出来るという側面もあります。
より良い音楽を作るという本質からは離れますが、より広く聴かれる音楽を作るチャンスを得る上では案外重要なポイントと言えるかもしれません。
まとめ
この記事ではオーディオオカルトにハマるか否かに関連する4つのポイントと、オーディオオカルトがクリエイターやリスナーにもたらすものについて説明してきました。
オカルトにハマるもハマらないも各々の自由ですが、いずれにせよ何か機材なりグッズを買う時にそれが
データを変えるものなのか
耳に届く音に影響を与えるものなのか
それを自分の耳が感じ取れるのか
それを買って幸せになれるのか
という4つの軸で考えるのが良いと思います。例えば音は変わらないし自分にも変化が分からないけど幸せ、というのもありだと思います。機材を買うという行為そのものが幸福度と直結しているからです。
ただ、クリエイターにとって重要なことは何を使うかではなくそれで何を生み出したかです。オカルトにどっぷりハマっていようがいまいが「素晴らしい音楽を生み出す」という大目標の前ではどうでもいいことのはずです。
ただし素晴らしい音楽を生み出すのは機材ではなく人間の能力、技術なので、オカルトの沼にハマり過ぎると結果的に遠回りになることには十分注意が必要です。
またオカルト議論は白熱するとカルトになりやすいため、皆がお互いの思想に寛容になり、時に不干渉を心がけることが重要です。
重要な言い忘れ
機材選定の基準は4つの軸で良いと書きましたが、実は音楽を作る側の人間にとって極めて重要な5つ目の軸があります。それは
ということです。オカルトは直接触れた人にまでしか(直接的な)影響を及ぼさないので、自分が感じている幸せがリスナーに届くかは冷静に見極めなければなりません。
というわけで、自分は誰のために何を使って音楽を作るのかを自覚して、共感できる人と音楽を作るのが一番平和です。そのためにも、オカルトにハマっている人が自身の信仰を自覚しないまま「これはオカルトではない」と発言したり、逆にオカルトに与しない人が何でもかんでも疑わしいものをオカルトを糾弾するのは避けた方が良いでしょう。
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