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私の海外体験(オーストラリア編)

今日は、私が若い時に体験した、海外体験というものをお話ししたいと思います。

私の初めての海外体験というものは、高校2年生の時(2001年ごろ)、2週間オーストラリアのパースにホームステイをしたことです。

ホームステイ先は、4姉妹の住む家。長女は私と同じ年でした。
彼女は、耳、まぶた、あご、舌、おへそにピアスを開けており、ヴィーガンでした。私は、当時ヴィーガンという生き方を知らず、肉はおろか乳製品も食べないなんて、ヘェ〜!と、驚きました。耳のピアスを開けたいのに禁止されていると話すと、舌ならバレないよ、と言われました。

彼女の部屋には、壁一面に、ニルヴァーナのカート・コヴァーンのタペストリーや切り抜き、ジョン・レノンを殺害した犯人へのインタビューの記事などが貼られ(写真付き)、強烈なインパクトでした。

ニルヴァーナのことももちろん知らず、「ドゥーユーノウナッバーナ?」と聞かれ、知らないと答えたところ早速聴かせてくれました。私は宇多田ヒカルの1stアルバムを持って行ってたので、聴かせたところ、わずかな時間で止められました。

パースは、広々としていて、洗剤の匂いはこれまで嗅いだことのないうっとりするような香りがして、おしゃべりなパパと、やさしいママと、個性豊かな4姉妹との日々はめちゃめちゃに楽しかった。

英語はわずかしか聴き取れなかったから、今思えばどうやってコミュニケーションしてたのかわからないけど、とにかく楽しかった。開放的で、何しても許される気がして、早くここへ来ていれば、私は病まなかったのに、とも思いました。

高校2年生の時、私は病んでいました。進学校だったため、高校に入った途端成績一辺倒の価値観になり、皆同じ制服を着て、黒い髪で、ピアスも開けてはいけなくて、みんな紺のハイソックスを履いて、ローファーで、ロボットのように感じました。成績は鳴かず飛ばず、容姿も地味だし、自分の良さなんてこれっぽっちも出せないと思いました。出せないというより、高校の価値観の中で、私は私のよさを見つけることが難しかったのです。嫌いな数学はどんどん成績が急下降し、一桁台の点数になり、進学も危ういほどでした。

なんとか友人の支えもあり高校2年生に進学しました。しかし私の中は虚無でした。そんな時パースに行く機会を与えられ、この体験ができたのです。

人は自由でいい。どんな思想でもどんな格好でもいい。生きているってそういうこと。これが、パースでのホームステイから私が学んだことです。その時、気づいたことがひとつ。私が苦しんでいたのは、日本独特の、「学生は皆、画一的であらねばならない」という目に見えないけど確かにある、価値観ではないのか?と。

私はそこから抜け出したかった。
この旅のおかげで、価値観は大きく変わりました。
この時迎えてくださったホストファミリーには、今でも感謝しています。

話をオーストラリアに戻すと、エアーズロックにも登りました。しかし、降りるのが怖すぎて、お尻を引きずって降りていたら、ジーンズに穴が開きました。アボリジニの方々の文化も素晴らしかった。カンガルーやコアラも感動しました。

次女にはスラングもいっぱい教わりました。次女は体が大きく、そのことを現地の男子によくからかわれていました。ある日も、次女をからかった男子に、あまりに下品でここでは書けないスラングをすかさず放つと、大変喜んでくれました。夕食の席で、「〇〇って言ってくれたよ!」と次女が報告すると、みんなとても褒めてくれました。

世界は広い。思い切っていつもの環境を飛び出したら、こんなに優しくて刺激的な出会いが待っていた。だから、若い人には、海外へ出て行ってみて欲しくて仕方ないのです。

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