2024.05.11_物語を始めようとしたやつ

 ネットカフェに行こうと思った。呪術の続きを読みたいと思ったから。脳みそを呪術師にするよういじられたみたいな感覚だ。目覚めた俺はネットカフェに行くことのみを目的とした生物に改造されていた。無為転変だ。

 すでに土曜日の13時だった。昼間から「ネットカフェに行こう」と思って計画立てて行動する人間ってどれだけいるのだろうか。酔った後に終電逃して、ナイトパックで利用するくらいしか経験がないから、よくわからなかった。

 シャワーを浴びながら、死滅回遊ってどういうルールだったっけと記憶をたどるが、そもそもなんで死滅回遊が始まったかも思い出せないで終わった。呪術は情報量が学術書レベルだから、楽しく読むというより「インプット」という意識で頭を動かしてしまう。

 卒業論文のために読んだ資料の内容を、なんだったっけなんだったっけ、あれ思い返せないと発表でまずいよなと焦るとき。あれに似ている。少年漫画に頭が追いついていかなくなる。自分が「少年」から卒業してしまったんだという感覚になって、変に虚しくなる。

 人生が虚しいなんて、社会人2年目に突入した段階で気付いていたはずな
のに。

 漫画の内容を思い出そうとしたら、ぼんやり人生に絶望した。ぼーっとした頭でシャンプーに手を伸ばして、昨日パーマあてたからシャンプーはしちゃだめなんだと直前で気付き、危ない危ないと洗顔剤を掴む。

 シャワーから出てバスタオルで髪を拭く。優しく拭けと美容師に言われた。だけど強く拭いたとき、頭がぐわぐわと音を立てて刺激されていって、湧いてくる情報をつぶいしていく感覚が、梱包用のプチプチをつぶしていくあの行為に似ていて個人的に好きだ。

 そうしたい気持ちを抑えてゆっくり撫でるように髪を拭く自分は、どこか大人びていて偉いなと思った。パーマ液の匂い。

 これも大人の匂い?

 大学生からパーマにしていたイケイケのサークル長を思い出して、ベランダのほうに目を向けた。3階だから、落ちても死ねないだろう。


「小説はね、動きから始めないといけないんですよ」

 ネカフェに来て、呪術やワンピースを持ってきて、ドリンクもスナックも揃えて万全の態勢を整えた俺は、なんで大きなスクリーンに直木賞作家の小説講座を映し出して呆然としているんだろう。すでに1時間が経過している。勿体ない。

「一生懸命練った設定だとか世界観だとか、あとは主人公の思想だとか色々解説したいことはあるでしょう。せっかく書き始められたんだからね。自慢したいでしょう。でもね、残念ならが読者って、そういうのに関心ないんです」

 ホワイトボードの前に立って、長い前髪に手をやって右に流す男性作家。受講生の表情を確認したのち、ペンを持ってホワイトボードに人型のイラストを描いていく。

「主人公がいます。周りにある環境、世界ですね。言葉にしていきます。原稿用紙は埋まっていくんだけど、この瞬間主人公は、動いて?いないよね。ただぼーっと立ってる状態で、文字だけ増えていくわけ」

 俺は自分のnoteや小説を振り返った。たしかに、つまらないなと思う作品の主人公は、たいてい動かない。パソコンの前に座っている主人公、寝転がっている主人公、歌舞伎町で座り込んでいる主人公。みんな動かない。

「でもね、皆さんが面白いって思う作品の最初のシーン振り返ってごらん?ぶつぶつ語りから始まって数分経過するものってどれくらいある?語ったとしても1分たらずだよね。少年漫画の主人公は最初のシーン、起きてすぐ食卓に降りて行ったり、敵を倒していたり、必死に走って何かから逃げていたりする。何から逃げているか、何を殺しているのか。その説明から入るものってないんだよね。昔はあったけど、最近の読者の気持ちとしては、御託はいいから動け!なんだよ。何かコンテンツを作ろうとするなら、読者のこの傾向というか、見方によっては悪癖というか、おさえておかないといけないかな」

 ワンピースも呪術も開く気にならなかった。サマータイムレンダーを開いてみた。かわいい女の子、主人公の主観だろうか。主人公の恋人?妹?なんで主観なのか、気になる。あ、夢おちか。ん、あ、巨乳の眼鏡お姉さん。

 シーンが見事に転がっていき、あっという間に1冊読み終えてしまう。

 そうか、これか、こういうことか。つかめたような気がしているけど、それは文章で作れるものだろうか。参考にしなきゃ。いい感じにシーンがパンパンパン!っていく感じ。これって小説で作れるかな。エンタメ小説、いや純文学でもいいけど、テンポ感が、小説、あ、夏目漱石しか持ってきてないや。『明暗』だもんな。参考になるわけない。


 結局あの後、作品を書き始めたけどテンポ感がうまくつかめなくてやめた
漫画から何か吸収しようとしたけど、作品でうまく言葉が続かなかったことにモヤモヤして、ストーリーが入ってこなかった。家と同じようにYouTueを見て、自分のアイフォンに残したら恥ずかしい動画をたくさん見た。具体的に言うのは憚られる。

 憚られる?

 エレベーターの階数ランプに目を向けながら、?がふわりと頭に浮かぶ。「憚られる」という言葉の意味を、小説家志望にしてはやけに薄い脳内辞書で検索する。結局ちゃんとした意味は出ないまま、1階、ゴーっと扉が開く。

 出たらそこには本屋、少し右に曲がって歩いたところに牛丼屋があったので入る。牛丼を食べるくらいならネカフェでカップラーメンを買って腹を満たせばよかった。牛丼屋に入ったら決まって大盛りを頼んでしまうのだ。

 自動ドアが開き、食券機に右折すると長身の男がいる。俺は彼のニット帽を見て、体をゆらゆら動かしながら自分の番を待つ。1分ほどしても男が動かなので、食券機の画面を見ると最初の「店内」「お持ち帰り」の選択画面から動いていないことに気づく。はぁ?

 困っているのか。外国人か?日本語がわからないなら、右下に言語の切り替えボタンがある。しかし、そういうボタンを探している様子もない。困っている様子自体なく、ただ直立不動な男。

 俺は彼へのアピールも含めて、わざと視界に入るよう一歩踏み出して食券機の画面をのぞき込む。そして元の位置に戻る際、男のほうもチラリと見て、ヒヤッ

 怖い。分かる。友達も多くないし、遊びも知らないし、見識もない。ただ分かる。この男は怖い。反社会的勢力の顔だ。だって目に傷、しかもあんなに大きな傷。そして目つきも鋭くて、標的を定めた野生の獣みたいな顔をしているし意味わからん。そもそもお前が食券買うの遅いからだろうが。牛丼や来たことないんかお前。

 でも目が合っている。とりあえず何か言わないといけない。いけない!あ、ミキの昴生が出た。これ、羊を数えるネタのやつね。
「知ってます?」
 何を言ってるんだ。
「何を?」
 当然男は聞き返してくる。お笑い好きかも分からない状態でミキの話なんかするな、の前に雑談ふるべきタイミングじゃないだろって。
「あ、えっと、えー」
「・・・・・・」
 男は沈黙したまま俺を見つめ続けた。オレンジ色のニット帽から黒の前髪がはみ出ていて、左目を隠している。大きな傷がついているのは右目。
 その中にある眼球がぎょろりと動き、顔が俺の方に近づいてきた。俺は焦って後ろに飛び退く。男は食券機の方に向き直って、
「食券を買うべきだったんだな、今」と言った。
 そりゃそうだろ。俺は頭の中で男につっこんだ。
 男は食券を取り出すと、「ほら、どうぞ」と俺に言い、テーブル席に向かって歩いて行った。なんなんだよあいつ、俺は声に出さずに口内で呟きつつ、チーズ牛丼と温泉卵を選択して、QRコード決済を済ませる。
 振り向くと、テーブル席にいる男がひらひらと手を振っている、と思ったら俺を手招きしている。
 なんだろう、怒らせたかな、いや怒られるも何も俺何もしてないし、何も言ってないしあの人に、そもそも食券買うの遅かったのあんただし、それに「食券買うのかここ」じゃねぇよ。まったく、仕方のない奴だ。

 仕方のない奴?

 目の前に男が座っている。にやにや笑って、

「はっ、今日もここまでか?」

 今日は、ここまで。言葉が途切れて聞こえた。だんだんと眠くなってくる。スパイ映画を直近で見たから「睡眠薬か?」とか思ってみるけど、まだここ数時間何も食べてないし、まだ牛丼運ばれてきてないし…
 やっばい、ねっむ、寝たい、どうでもよくなってきた。家族全員殺されるとか、友達殺されるとか、恋人拷問にかけられるとか、そういうの全部どうでもよくて寝たくて…

「いい感じにシーンをパンパンといかせる、だっけ?」

 男の声だ。笑いつつ、悔しそうだ。シーン、パンパン?
 なんだっけ、それ。

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