まだ飲むぞ!【禍話リライト】

Jさんは、アラフィフの紳士である。
落ち着いた口ぶりで物腰も柔らかなJさんは、昔から仲間内のまとめ役として重宝がられていた。
そのJさんが、仲間達と行った旅行で奇妙な体験をしたことがあるといって、教えてくれた話だ。

昭和の頃。
Jさんは仲間達と旅行に行き、地方の民宿に泊まることになった。
宿は古びていたが非常に大きく、にもかかわらず格安だった。
宿の人の話では、温泉ブームの頃はその民宿の周辺一帯が流行っていたので大きな宿泊施設を作ったのだが、温泉が出なくなって一帯がまとめてダメになってしまったのだという。
だから、うちは3棟あるけど今は2棟しか使っていないんですよ……宿の老主人はそう言っていた。

道理で広い割に格安だと思った。
しかも今日は宿泊客、俺たちだけらしいじゃん。
ラッキーだな。

そう言い合っていたそうだ。

夕飯後、部屋で駄弁っていると、老主人が顔を出した。
夜9時頃の事だったという。

「じゃあ私は帰りますんで、火の用心だけ気をつけてください」

予約時に、宿の人間は9時以降はいなくなると言われていたので、驚きはなかったが、宿の人が建物からいなくなるなんて、民宿とはいえあっても良いのだろうか……という思いもあったという。
しかも、その日泊まっているのは自分たちだけなのだ。
だだっ広い空間で、少人数である。
心細いことこの上ない。
しかしそんなJさんたちの気持ちを他所に、老主人は必要な説明をテキパキと続けていく。

玄関の鍵はここに置いておきますので、お出かけの際は施錠してください。
何かあったらこの番号に電話してください。

老主人はそう言うが、帰宅すればすぐに寝るのだろうし、おそらく何かあってもすぐに来てはくれないだろうな……と思っていたのだという。

一通り説明を受けたあと、Jさんは一人、老主人を玄関まで送っていった。

「ありがとうございました」

そう言って頭を下げると、老主人は何かを思い出した様子で口を開いた。

「あ、そうそう。あなた責任者だろうから、一つご忠告。まあ、そういうことないとは思うんだけどね」
「はい、何でしょう?」
「トイレに行かないでくださいね」
「はあ?!いや、行きますよ」
「イヤイヤ、そういうことじゃないんです。言葉が足りませんでした」
「はぁ……」
「お部屋のトイレも、この棟のトイレも大丈夫です。隣の棟も大丈夫です」
「……はあ」

昔の名残で部屋の外にも設置されている宿泊者用トイレは十分に大きく、人数的にもこの棟にあるトイレだけで十分に足りる。
だから、老主人が何を言わんとしているのか、Jさんは測りかねたのだ。

「えー……どこのトイレの話ですか?」
「隣の棟のもう一個向こうに、今、使っていないボロボロになってる建物があるんですよ」

そういえば話を聞いた時にそんなことを言っていたな、と思い出す。
老主人は続ける。

「今使ってない建物なんですが、昔はね、そこも開けてたんです。まあ、今は使ってないんですが」

妙に「使ってない」を連呼するなぁ。

Jさんは奇妙に思った。

「使っていないので、水も通ってないんです。だから使わないでくださいね」
「使いませんよ」

Jさんはそう答えるのだが、老主人は話を聞いていないのか、喋り続ける。

「ボロボロになってるんですよ。床もね。踏み抜いたりしたら危ないですし、何より埃も積もってます。気管支や肺に悪いので、あそこのトイレは使っちゃダメなんですよ」
「だから、使いませんて」
「……でも、使おうとする人がいるんですよ」
「え?なんでですか?」
「私どもにはわからないんですけどね。あそこは良くないんだよなぁ」

その口ぶりが思わせぶりで、何かを隠しているような雰囲気がありありと感じられた。

「俺たち絶対行きませんよ」
「……そうですよね。変なことを言いました」

ようやくこのよくわからない話が終わるのか、と胸を撫で下ろしていると。

「3年前に行った人たちは……ではまた明日」

そう言って老主人は玄関の戸を閉めた。

ん?最後、何を言おうとしてたんだ?

明らかに老主人は何かを言いかけて、それを途中で止めた。
気にはなったが、要はこの建物から出なければいいのだ。
街灯もなければ見所もなく、深夜に宿を出る予定はそもそもなかったので、Jさんはそれ以上考えることをやめた。

ま、周りの奴らには言わないでおこう……

そんなことを考えながら部屋に戻ったそうだ。


部屋に戻ると、仲間たちが窓から外を見ながら酒を飲んでいた。
とはいえ、外は真っ暗で、遠くに民家の明かりがポツリ、ポツリと見えるくらいで、他には何も見えない。

「なんにもないってのは、これはこれでいいもんだね」
「都会の喧騒を離れて、って感じ?」

そんなことを皆で言い合って、チビチビと酒を飲んでいたのだが。

そのうち、だんだん怖くなってきたそうだ。
街灯もなく、民家の明かりも消えてしまうと、いよいよ真っ暗である。
何だか寂しい気持ちになってきた。

「人の営みのかけらも見えなくなると寂しくなるなんて、人間なんて勝手なものだなぁ」
「まあ、こういう気持ちを味わいにきたのかもな」
「……寝るか」

皆がほろ酔いくらいの状態になっていたという。
そしていい気持ちで、床についたのだそうだ。


深夜。
旅先でもあり、Jさんは少し敏感になっていたようで、誰かが起きあがった気配で目が覚めた。

ああ、トイレ行くんだな。

そう思った。
一人目がトイレに行き、戻ってきたあたりでJさんはまた眠りに落ちたのだが、程なく二人目の仲間が立ち上がって寝室の襖を開けた。

あいつもトイレか。

そう思ったが、なぜかそいつは部屋の中のトイレをつかわず、廊下に出ていった。
なんで廊下に出たんだ?と思いつつ、ぼーっと待つともなくその仲間の帰りを待っていたのだが。

10分経っても戻ってこない。

部屋の中にもトイレはあるが、開いた襖から見る限りでは、部屋のトイレの電気はついていない。

では、部屋を出てすぐのところにある廊下のトイレに行ったのかとも思ったが、10分経っても戻ってこないのはおかしい。

Jさんが起き上がると。

「どうしたの?」

隣で寝ていた仲間がJさんに話しかけてくる。

「あいつがトイレから戻ってこないんだよ」

そう言って、二人で廊下のトイレを確認したが、いない。

あれ?
あいつどこ行ったんだ?

首を捻っていると、一階の玄関ドアが荒々しく開く音がして、ついで人が走ってくる音が聞こえてきた。
足音の主は、階段を駆け上がってくる。
二階の廊下に飛び出てきたのは、そのいなくなった仲間だった。

「おいおい、脅かすなよ!」

そいつは全身汗まみれで、額からは脂汗をダラダラ流している。

「何々?どうしたの?」

部屋にいた残り二人の仲間も廊下に出てくる。

「おい、お前足とか手が真っ黒じゃん」

Jさんがそう言って手足をあらためると、どこもかしこも埃まみれになっていた。

「お前、トイレ行ったんじゃないの?」
「……わかんないんだけど、トイレ行こうと思ったら、部屋出ちゃったんだよね。そんで、そこのトイレに入らないで外行っちゃった」

そいつはどう見ても酔ってはいないようだ。
パニック状態ではあるが、口調もまともである。

「で、隣の建物抜けて、そのさらに隣の建物に行ったんだよ。そんでさ、なぜかその建物の鍵が開いててさ、開けてみたら、埃まみれなんだよ。で、うわーっと思いながらも、トイレどこだったけなあって考えながら、自然と足が動いて二階に向かって階段上ってたんだけど……そのとき、自分の前を歩いている奴に気づいたんだ」

そこで、そいつは我に帰ったらしい。

あれ、誰だ?

よく目を凝らしてみると、自分とその前をいく奴の間の階段の埃の上に、足跡はない。
そいつは、手すりを持ってえっちらおっちら上っている。
ちょっと酔っ払っているような雰囲気だった。

え??
でも、みんな寝てたから……
他の宿泊客なんて、聞いてねえけどな?

そう思った、その瞬間。
酔っ払ってるような足取りで歩いているその男が、ボソボソと何かを口走った。
仲間の耳にはその声がはっきり届いたという。

「まだ飲むぞぉ、まだ飲むぞぉ」

その言葉を聞いて、そいつはゾッとしてしまったという。
階段には足跡はないし、手すりにも埃が積もっている。

……この世のものじゃない。
怖え!!!

「……それで走って戻ってきたんだけどね……」
「え、ほんと?」
「いや、ほんとの話」

青ざめてブルブル震えながら話すそいつの様子からは、嘘や冗談を言っている雰囲気は微塵も感じられない。
そこでJさんは、先ほど聞いた宿の老主人の話を仲間に話すことにした。

「実は……ごめん。旅館のおじさんがね……」

話を聞いた皆は、「うわ、まじで……」と言って絶句してしまう。

「なんでお前、行ったんだよ?トイレなんて」
「知らないよ。気がついたら行ってたんで……」
「誰だよ?お前の前にいたやつって」
「それも知らないけど……」
「どうしようかね?これから」
「とりあえず部屋に戻って、朝まで飲んどこうや」
「そう……そうね」

そして五人で部屋に戻ったのだが。

ん?

入るなり異変を感じた。

「あれ?酒臭くねえ?」

先ほども述べたように、自分たちはそんなに飲んでいない。
なのに、部屋が異様に酒臭いのだ。

「何これ?何これ?!」
「さっきまでこんな酒臭くなかったよね?」

そんな話をしていた、その瞬間。

押入れがスーッとあいて、見知らぬ男が出てきた。
そして。

「先に始めちゃってますよ」

男はにやにや笑いながら、そう言った。
そして、その後ろから男の人たちがゾロゾロと這い出してきたのだ。

うわあああ!!!!

Jさんたちは叫び声を上げながら外に飛び出した。
しかしそこは陸の孤島である。
道も真っ暗なのでどうしようもない。
公共交通機関を利用しての旅行だったので、逃げ出すこともできない。
幸い、庭の池の横に、五人ほどが十分に座ることのできるスペースがあったので、そこに座って朝まで過ごしたそうだ。
先ほど部屋で見た男たちは、外には出てこなかった。

朝5時頃に、宿の主人がやってきて、驚きの声をあげる。

「あれ、お客さんたちどうしました?」

Jさんたちが昨夜の出来事を話をしたところ。

「そうですか……お客さんたちはお酒飲んでないから大丈夫だと思ったけど」

そう言って老主人はため息をつく。

「ところで、なんで家に帰るんですか?」
「怖いから。私たち、知ってるから」

老主人はぬけぬけとそう答える。

「何を知ってるんです?」

Jさんがそう尋ねると、老主人はゆっくり口を開いた。

この宿がさびれた理由は、温泉が枯渇したのもさることながら、一番奥の、今は使われていない棟の2階の客間で事故があったからだという。
急性アルコール中毒で、死者が数人でたというのだ。

「で、とりあえず色々終わった後、その客間だけ塞いだんですけどね……色々あって、その棟は使わないようにしたんですよ。でもお客さんたちは飲んでないから大丈夫だと思ったんだけどなあ……」

そう言って老主人は残念そうに肩を落とした。
結局その旅行では、全然田舎を楽しめなかったという。

ちなみにその民宿は、翌年の観光シーズンには畳まれていたそうだ。

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この記事は、「猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス」、「ザ・禍話 第15夜」の怪談をリライトしたものです。原作は以下のリンク先をご参照ください。

ザ・禍話 第15夜
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/623468680
(37:45頃〜)

※本記事に関して、本リライトの著者は一切の二次創作著作者としての著作権を放棄します。従いましていかなる形態での三次利用の際も、当リライトの著者への連絡や記事へのリンクなどは必要ありません。この記事中の怪談の著作権の一切はツイキャス「禍話」ならびに語り手の「かぁなっき」様に帰属しておりますので、使用にあたっては必ず「禍話簡易まとめwiki」等でルールをご確認ください。

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