草舟屋敷【禍話リライト】

Yくんが一人暮らしをしている商店街には、「名物婆さん」がいた。

毎日夕方に、その婆さんはどこからともなく現れる。
その婆さんは、大きな箱を背負って、ブツブツと何かを喋りながら、商店街と交差する細い路地を、「そんな歳の人がそんなスピードで?」と驚くような速さで駆け抜けていくのだ。

「まあ、言うなれば、時計代わりよ。哲学者のカントの散歩の時間に合わせて時計の針を合わせる…みたいなさ。だからさぁ、あの婆さん見ると、そろそろ黄昏時だなあって思うわけよ」

歳が近く、仲の良い文房具屋の三男坊のZさんは、冗談めかしてそんなことをYくんに言っていた。
Zさんの文房具屋は商店街とその婆さんが駆け抜けていく路地とが交差する角にあり、夕方には大抵店番をしているZさんは、頻繁にその婆さんを見かけていたのだそうだ。
婆さんが背負っているものは、いわゆる百葉箱だった。
ただ、その婆さんが何を言っているのかまでは、一瞬で目の前を通り抜けていってしまうこともあって、誰も知らなかった。

ある日のこと。
文房具屋を訪れたYくんに、Zさんがニヤニヤしながら近づいてきた。

「おい、あの婆さん、何言ってるかわかったぞ」
「箱背負って走ってる婆さんですか?」
「そうそう。あの婆さん、『ひょっとこひょっとこ』って言いながら走ってるぞ」
「へえ。マジですか。でも、なんでひょっとこ?」
「さあな」

その話を聞いてから、Yくん自身も気をつけて耳をそば立ててみると、確かに婆さんは走りながら「ひょっとこ、ひょっとこ」と言っているようだった。

その婆さんは、足が早く、また路地を熟知しているようで、子供などが追いかけたりもしたようなのだが、あっという間に見失ってしまう。
それどころか、走り回る婆さんを注意しようとした警官までも振り切ってしまったのだそうだ。

あの婆さん、一体何者だ?

その婆さんの正体をめぐっては、商店街中の関心の的になっていた。

実は。
商店街中の誰もがその婆さんの顔には見覚えがあったのだ。

商店街の近くに、周囲が雑草に覆われていて、家全体がもはや緑色になってしまっている平屋建ての一軒家があった。
元々は夫婦で住んでいたのだが、10年ほど前にお爺さんが亡くなってからは、遺されたお婆さんが一人で住んでいる。
その家のお婆さんに、そっくりな顔だったのだ。

しかし。

同時に、その家のお婆さんが走り回る婆さんと同一人物でないことは、商店街の誰もが理解していた。
というのも、その家のお婆さんは、三年前から足腰を痛めてほぼ寝たきりになってしまっているのだ。
わずかに付き合いのあった隣近所の人の話によれば、お婆さんはもう一人で起き上がってトイレに行くことすらできない状態で、毎日介護の人が訪ねてきて、お婆さんの身の回りの世話をしている。
車椅子に乗って外に出てくることすらできないくらい、状態が悪い、というのだ。

だから、その走り回る婆さんは、その家のお婆さんに顔こそそっくりだが、別人だろう…という話になっていた。

Yくん自身も、その商店街で一番走り回る名物婆さんに詳しいZさんに、そのことについて尋ねてみたことがある。

「他人の空似だろうね」

Zさんはあっさりとそう言い切った。

「寝たきりの人が百葉箱背負って走るなんて、おかしいでしょ」
「でも、すごい似てるじゃないですか」
「さあね。親戚とか、関係者じゃないの?」
「Zさんは気にならないんですか?」
「うーん…まあ、気にはなるけどさ。絶対やばい人じゃん、あの婆さん。放っておけばいいよ」

実際のところ、その名物婆さんは、ある意味では気持ち悪いだけで、犯罪を犯しているわけでもなく、子供にぶつかったりしたこともない。
だから、みんなその婆さんの正体を気にしつつも、あえて触れるようなことはしていなかったのだそうだ。

ところが。
ある日いきなり、その婆さんがいなくなった。

毎日毎日。
晴れの日も、雨の日も。
暑い日も、寒い日も。
一切それに影響されることもなく、決まった時刻に現れていた婆さんが、その日、現れなかった。

あ、今日は来てない。

最初に気づいたのは、Zさんだった。
Zさんは胸騒ぎを覚えたようで、半鐘を鳴らして人を集めた。
商店街中からゾロゾロと人が集まってくる。
Yくんも、Zさんのところに行った。

どうしたどうした?

集まった人たちの問いかけに、Zさんが答える。

「婆さんが、いない」
「…バカか?」
「そんなことで人を集めるなよ!」

怒りの声が上がる。

「いやいや、あれ、やばい婆さんだよ?この辺のどこかで死んでるかもしれない」

その商店街の周囲には細かい路地や用水路などが縦横無尽に張り巡らされており、死亡事故こそほとんどないものの、老人が転落して大怪我…などということがしばしば起こっていた。
ひょっとすると、誰にも気づかれないまま、婆さんがそんな状況に陥ってるかもしれない。
普通の人なら大声で助けを呼ぶのだろうが、あの婆さんがそんなことをするとは思えない…
Zさんは、そう言うのだ。

「…確かにそれはやばいな」
「じゃあ探す?百葉箱と婆さんなら目立つし」

集まってきた人の話では、たしかに前日には、その婆さんが目撃されていた。
しかし、今日は誰も見ていない。

「とりあえず、あの婆さんがどんなルートで走って行ったのかを確定しよう」

地図を広げ、見かけた時間帯、進んでいった方向などを書き込んでいく。
すると。

「あれ?ここで消えてるね、どう考えても」

とある区画で、婆さんの足取りが途絶えている。
そこは一本道の路地で、進めばAさんに、戻ってくればBさんに目撃されなければおかしいようなところなのだ。

ところが、Aさんは婆さんを見かけていない。
Bさんは、戻ってくるのを見ていない。

ここか?

その路地に向かう。
その路地には、道沿いに猫の額ほどの児童公園があり、Zさんは一目散にそちらに向かった。

そして。

「あったぞ!あった!」

Zさんが大きな声を上げる。

すわ、死体か?

Yくんは覚悟を決めて児童公園に足を踏み入れた。


そこには。

どう見ても百葉箱の破片と、それを留めていた金具が、バラバラに散乱していた。
婆さん自身の姿は、どこにも見当たらない。

「ええ…何これ」
「婆さん、もういなくなっちゃったってことなのか?」
「何なんだろうなあ」
「不思議だな」
「こんなことあるんだな」

そんなふうに口々に言いながら、ゴミを拾い、さあ、帰るか…となったところで、Zさんが口を開いた。

「そういえば、あの婆さんに似てた、あの草の家の婆さんはどうなったんだ?」
「行ってみようか」

そこから少し離れた、一軒家に向かう。
すると、ちょうどその草まみれの家の隣に住む主婦とばったり出会した。
挨拶もそこそこに、隣のお婆さんについて聞くと。

「それが大変なことがあって!」

と言って、話し始めた。

その、草まみれの家に住むお婆さんは、喫煙者だったのだが、タバコの火の不始末で、亡くなっているのが、今日になって発見された、というのだ。
亡くなったのは一昨日のことのようで、ベッドのあたりだけが燃えて外には火が出ていなかったので、周辺住民は気づかなかったのだという。

その話を聞いて、皆、真っ青になった。
一昨日亡くなった老婆。
昨日から目撃されていない老婆。
今日、遺体が見つかった老婆。

まさか。

結びつけたくはないのだが、どうしてもそう考えてしまう。

そんなときだ。

Zさんが「あ」と声を漏らした。

「どうしました?」
「いや、これって…まさか」
「何口籠ってるんですか?今更」
「いや、考えすぎだとは思うんだけどさ…あの走ってた婆さん、『ひょっとこひょっとこ』って言ってたでしょ?」
「ああ…そうですね」
「ひょっとこってさ、『火男』って書くでしょ」
「あ」

それを聞いてから、皆の気分は一層落ち込んでしまい、そのまま流れ解散になったという。

それ以降、百葉箱の婆さんは、二度と姿を見せなかった。
その雑草の家は、そのまま放置されて、今や完全に雑草に覆われていて、家があるとは一見してわからない状態になっている。

そして、誰言うともなくその家は、草舟屋敷と呼ばれているのだそうだ。


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この記事は、「猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス」、「THE禍話 第8夜」の怪談をリライトしたものです。原作は以下のリンク先をご参照ください。

THE 禍話 第8夜
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/566613581
(29:06頃〜)

※本記事に関して、本リライトの著者は一切の二次創作著作者としての著作権を放棄します。従いましていかなる形態での三次利用の際も、当リライトの著者への連絡や記事へのリンクなどは必要ありません。この記事中の怪談の著作権の一切はツイキャス「禍話」ならびに語り手の「かぁなっき」様に帰属しておりますので、使用にあたっては必ず「禍話簡易まとめwiki」等でルールをご確認ください。

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