(64日目)僕の中のがけ
※ この文章は2021年10月に書かれた記事です。
今日は用事があって練馬駅に出かけていた。
東京の感染者数は今日は3人。
街に人通りが戻っていることが実感できる。
少しだけど間隔を開けて食事を取る老夫婦。
ケイタリングに並ぶ帰宅途中の人たち。
八百屋で野菜を吟味するひと。
しかし、そんな街の雰囲気と裏腹に気分がずいぶんざらついている。
居酒屋でゲラゲラと笑いながらお酒を飲み談笑し合うサラリーマンらしき男性たち。
今まで通り、対面で席に座り、マスクもせず食っちゃべるおばさんたち。
眺めていると、とても気分がざらつく。
この感情は憎しみにも近いのかもしれない。
わかっている。
開いているお店も、きている客もいろいろ葛藤があったはずだ。
自粛したままでは経済が成り行かない。
では、いま自粛する意味は?
頭では分かっている。
けれどこころが反発している。
「あいつら」を、受け入れることがどうしてもできない。
「自粛?あいつら気にしすぎなんだよ!」なんていいながら笑われてるんじゃないか、そんな邪推までもが頭をよぎる。
だめだ。
そんな気持ちを抱えつつ、歩いていて、はたと気づいた。
そうか、これが今世の中で言われている「分断」か、と。
いま、確かに僕の中に大きな「がけ」が存在している。
対岸にいる僕と、自分の考えとは違う行動をしている他人。
こんな極端な状況の中では、ひとは様々な行動をとる。そして、それぞれが違った行動をする人に寛容ではなくなる。
お互いがお互いに「いつ攻撃されるか分からない」という臨戦体制を心に持ちつつ、談笑したり、イヤホンで音楽聴きながら何気ない顔で歩いている。
これはまるで、「乱気流に入って揺れている飛行機のなか」みたいだ。
なにか、これは全然大したことではないぞ。
僕自身が、僕の中でそう警告している。
この感情を少しでも吐き出さないと。
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