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志賀直哉著『好人物の夫婦』読書感想文


『悩ましい快感以上恋未満』


私は知っている。男なら誰もが己の意思とは関係なくふとした折に女に悩ましい快感を抱く事があることを。そんな、男なら誰もが知っているこの秘密の事情を、志賀直哉は繊細に、かつ鮮やかに描き出す。それだけでは無い。寝る前の挨拶だけだとちょっと物足りないからと、わざわざ滝にペンを取りに行かせたり、毛布を掛けてもらったりする。この脈がないわけでも無さそうな女に対する下卑た下心を、隠しきれていない雄の本能も私はよく知っている。そんな、男なら誰もが知っているこの秘密の事情を、志賀直哉は繊細に、かつ大胆に描き出す。

滝に悩ましい快感を抱きながらも、恋心を抱くつもりはないと彼は言う。齢十八、可愛い顔に、丸みを帯びたいい感じの声、廊下でぶつかればやはり、悩ましい快感を抱く。たまに、処女なのかなあ?と思う。俺が結婚していなかったら可能性がない訳ではないかなあ?と考える。滝の相手に淡い嫉妬を感じる。いや、それでもこれは恋ではない、何故なら俺には守るべき家族があり、そこまでの誘惑を滝に感じている訳では断じてない、と彼は言う。彼のその言葉は説得力に欠ける。しかし、その曖昧さを含んだ、心のあり様に、微妙な心情の揺らぎに、本当の人間らしさ、否、男らしさを感じた。

それでも、悩ましい快感にこれほどまでに苦悶し、滝の妊娠に対して自身の無実をどう証明すれば良いのか思い悩む彼は、滝とのそれとは違い、やはり妻を愛しているのだ。「俺はそう伝う事を仕兼ねない人間だが、今度の場合、それは俺じゃあない」(p.56)という、一見胡散臭いある種の曖昧さを含んだこの言葉には、彼の本心から出た、彼なりの妻への誠実さがこもっている。

妻の震える手を彼は茶化す。可笑しい程震える彼女の手は、滝の妊娠が彼によるものではなかった事からの安堵と、緊張からの解放によるものだ。それほどまでに彼女は不安を抱き、それほどまでに彼女は彼が好きだった。

どこにでもいそうな二人。ありきたりな悩ましい快感。何の新鮮味も無い、普通の男女の光景。そんな普通の光景が、普通に生きているこの二人が、僕は好きだ。

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