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一筆啓上 地獄が見えた

昨夜はnote一発目の記事を書いた。酷いやつを。
今夜もまた俺と共に地獄に付き合ってもらう。
僕は普段、映画の感想ブログを書いて楽しんでいる、いまだ成功も失敗も知らぬ40代の独身中年男性それがこの私であることは先日言いましたね?今、パソコンが壊れて新調する前なので映画も観れないしかといってスマホで観る気にはなれない……という事でしばらくはnote更新をやっていく事にした。なるべく内容のないものを意識的に書いていく。
トップの絵は僕が以前描いた黒沢清‪‪『叫』‬のファンアートです。記事の内容とは一切関係ないが記事を書く時は画像貼った方がいいらしい、だがnoteは著作権厳しいイメージなので(誰も貼ってないからそう思った)ので貼った。何かお化けの絵ばっかりで気味わるいが!スマホに入ってるのがお化けの絵数枚なので仕方ない。別におどろおどろしたホラーな感じにしたいわけではないです。猫の写真とかにすればよかったかな。
前回の酷い記事を投下した直後……というか記事の後半を書いている時点で俺はnoteを始めた事を後悔していた。
というのも「これは‪『note始めました‪』‬ってだけの一発目だから内容もオチもないですよ」と、逃げを打ちつつ書いてたはいたのだが内心では「後半に行くに従って俺の脳内に‪『何か』が積み上がり、記事を書いてる後半では何か冴えたラストのオチが思いつくかも?‬」という希望的観測のもとで書いていたようだ。だが、どうだろう?後半に差し掛かっても何一つ冴えたオチが思いつかなかったではないか。
そう……何も思いつかなかった……。
今夜はひとつ、何故オチを思いつかなかったのかを皆さんも俺と一緒に考えていただけるかな?
その理由は考える間もなくハッキリしている。「今から考えよう」などと言っておいて何だが、今から考える必要は実のところ全くない。いつから俺が原因を今から考えると錯覚していた?ひょっとして俺が「今から考えよう」と呼びかけたから、それを鵜呑みにしてしまったのかな。もしそうならごめんなさい、気づいてあげられなかったね?
その原因だが、それは「俺が他人任せだったから」というのがその原因だったようだ。
記事の前半を書いていた時の俺は「この記事の後半に差し掛かった頃には、後半部分を書いている近未来の俺か何か冴えたラストを思いついてくれるさ」と、未来への自分へ丸投げしていた。丸投げしたからこそ自分でオチを考えるという作業を怠ってしまった(あと凝も怠りました)。そして数分後の俺が居た場所には……ただ時が過ぎてエントロピーが増大して死に近づいて劣化しただけの中年男性つまり俺がそこにいた!
この「未来に訪れる困難は、未来の俺が何とかしてくれるだろう」という堕落した甘い考え、誠に恥ずべき事ではありますが短所というコインをひっくり返した裏側は長所、実は良い面もある。例えば「明日は面接か、緊張して寝れないよ〜」こんな時に「まぁ、明日の面接は明日の俺がやるから今から寝て終焉を迎える今日の俺には関係ない……‬」その様に考えればスッと寝る事が出来ます。勿論、就寝前の俺と明日の俺は地続きで同じ人間なのだが割と半分くらい本気でそう思いこむと……朝までグッスリさ(グッスリ)。まぁ今回のケースではそれが悪い方に出て失敗してしまいました。一切、月々の積み立て貯金をしてないのに一年後に引き出そうとして「な、ない!口座にカネが!」と言ってるようなものだからね。冗談はさておき日本の現代社会、色々な困りごとや社会不安などをまともに受け止めてしまっては我々は自殺するしかなくなるわけです。この自殺大国・日本で自殺する人が多いのはこれが原因だと思ってます。矛盾してるんだから色んな事が!原液で飲んではダメです現代社会は、水で割らないと。じゃないと……死ぬ事になりますよ?
色んな事の板挟みになって死なざるを得ない人もいるが……まぁ似たようなもんだろ、社会の矛盾という一度動きだしたら止まらない機械に飲み込まれて死んでるんだから。
今これ書いてて思い出したけど僕が小学生低学年だった頃、パチンコや風俗店の存在を知って、その矛盾がショックだったり、この世には冤罪というものがあると知った時にはショックすぎて失神しそうになった事があった。思えばあの頃から現世は原液でいくもんじゃないと思ったのかも。
今夜も無事「前回の記事のラストが思いつかなかった」という一行を膨らませて今日も記事を書く事ができました。というか普通の日記を書こうと思ってたのに膨らませたせいでもう普通の話する雰囲気じゃなくなってしまった……今日はここまでにしときましょう。
君には次回も共に地獄へ付き合ってもらう。こうなったらもう離さない、きみがテレポートアウトしても、そこには俺がいる。そして押し付ける、ピッタリ壁にだ!
今気づいたが今回の記事の前半ではタメ口で書いてたのに、いつの間にか敬語で書いてる自分に気づいた。どこか「俺は今いい加減な事を書いてる」という後ろめたさがあったからなんだろう。浮気心が鎌首をもたげた日、いつもより恋人に妙に優しくしたり口数が増えたりする。今の俺は正にそれか。
そして今回もまた俺の苦い敗北で終わった記事となってしまった。そもそも勝った事あるのか?と自分に問いたい。だがいつかは届くだろう、歩みを進めてさえいれば……。敗北の味は決して消えはしない。消えた事など一度もない。一つの勝ちを拾ったとしても、またぞろ出てきて
ひどいことするのよ

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