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わからないものにたえられない(3月4日)

休業中、日誌なども書いていこうと思う。

なんだったら、営業再開しても日報的に続けていきたいと思う。

今日は低気圧の日だった。朝から天気も悪く、開店していてもお客さんは少なかったかもね。メムに来てくれるお客さんの中には、気圧に体調を左右される方も多い(代表もそうだ)。

気分がすぐれない、頭痛がする、なんだか心がつらい、そんなときに気圧がぐっと下がっていることがある。関連性がどれほどあるかは分からないが、自律神経が乱れるそうなので、要因の一つとして考えて問題ないように思う。

不調の原因が分からない

という状態だと、不調に加えて“不安”も付きまとう。私たちは、わからないに、耐えられない。

ちなみに気圧はこちらで確認できるし、アプリもある。今なお原因不明の不調が日々続く方は、気圧をチェックしてみてはどうだろう。下がっているから調子が悪いのかあと。

わかる”だけでもすこし楽になるし、対処も出来る。

調子が悪いときに、誰かと真剣な話をするとこじれることもある。あとから考えれば、そんなにこじれるような話ではなかったのになあ、と後悔することもあるだろう。

あらかじめ気圧が下がることが分かっていたり、あるいは話が不自然にこじれたときに、気圧が下がっていないか確認するなど。そうすることで冷静になれたり、大事な決断をいったん置いておくなど、いくらでも手が打てるじゃあないか。

わからないことはこわいんだ

コロナウイルスがとにかく怖いのも、わからないことが多いからというのもある。どうしたら感染するのだろう?いつまで続くのだろう?かかったらどうなるのだろう?上げていけばキリがない。

わからないは積み重なればなるほど、重くなり、私たちの心を容易に飲み込んでしまう。インフルエンザだってすごくこわい感染症だが、コロナウイルスよりはわかっていることが多い。だから私たちはそれほどこわがらない。

未来が時々こわくて仕方なくなるのも、わからないからだ。この先の未来が全て書いてあるノートがあれば、私たちは未来について悲観したり、おびえて動けなくなってしまったりすることは、ぐっと減るだろう。

わからないけれど勝手に動いていくのが未来だ。生きてるだけで不安になるのも無理はないよね。

同時に“わかる”ということはつまらなくもある。始めからオチが分かってしまっている映画は、少し退屈だ。それでも楽しむことは出来るけれど、人生はそうもいかないよ。

コーヒーもわからない

今日はずっと焙煎をしていた。ぐっと良い豆が手に入ったし、すごくきれいに焙煎が出来た。その焙煎も、わからないんだよね。うまくいくかどうか。

毎日のようにやっている作業だけれど、相手は植物だし、扱うのは火だ。自然と向き合っているんだよね。

そこに化学のエッセンスを借りて焙煎は行われるのだ。結果がどうなるかは、終わってみるまで不確定である。

勿論ある程度は予測を立てるけれど、そうなるかどうかは偶然も働くので確実じゃない。だから面白くもあるし、難しくもある。

わからないことは、こわいけど、おもしろくもある。


非常にきれいに仕上がった豆を見つめながらそんなことを考える。これを一杯のコーヒーにするとき、それも出来上がって飲んでみるまでは、美味しいかどうかも正直わからない。

わからないからこそ、美味しかった時の感動も大きい。

日々の積み重ねと、真鍮な取り組みだけが、このわからないを取り払う精度を高めてくれる。今日も丁寧に、丁寧に淹れよう、一杯のコーヒーを。

最もわからないのは人の心だけどね。

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そういえば、この写真をとても気に入ってるんだけど、これは代表が撮ったものだ。ひかりの当たり方がすごいきれいだよね。語彙力ねえ褒め方…爆




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