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とけていくまちのなかに(3月5&6日)

休業中でも忙しくやってる、おかげさまで。

忙しさの半分くらいは豆の焙煎である。非常に好評でありがたいことだが、なにぶん少しずつを手作業で焼いているので、そこそこ労力がいる。

それでもまだまだ売り上げねば店を維持することが出来ないので、しっかり営業をかけていきたい。

うちの豆を買ったことで、久しぶりにコーヒーを淹れた人もいた。素晴らしい美味しさでコーヒーに対するイメージを変えた人もいた。各々が何かしらを手にしてくれている。

ただ美味しい、だけでなく何か気付きや閃きを与えることが出来ているのはとてつもなく嬉しいことだ。値段はそこまで高くない。豆の質から考えれば妥当だ。

しかし、値段以上の価値を与えることが出来ているならば、経済活動としてはこのうえない正解である。もっと営業をしてもいいよ、自信もって売っていいよ、という強い肯定感につながっている。感謝。

いま日本中に自粛ムードが漂っている。予防の観点から見て休業は正解であるが、経済の観点から見れば、長い時間休業するのは間違いだ。しかしこのムードは長引き可能性も十分にある。

4月…あるいは5月まで収束しないという話もある。そこまで休業を続けていれば、多くのサービス業は窮地に立たされるだろう。どれだけ政府が補填してくれるかはわからないし、されても耐えられないところだって沢山あるだろう。

誰も予想していなかった未曽有の事態だ。みんな、大変だ。

今できることはいつかできたこと

しかしいつまでも悲観はしていられない。時に悲しいくらいに、わたしたちは前を向く能力がある。後ろを向いている暇はほとんどない。

立ち止まることなく、オンラインにシフトチェンジしながら、試行錯誤をしつつ前に進んでいる。

やってみて思うのだが、今こうしてやっていることは、このタイミングがあってのことだ。緊急事態に焦り、始めたことだ。だがそこまで特別なことをやっているかと言えば、そうでもない。

恐らくこのような事態にならずとも出来たことである。

では今までなぜやらなかったのか。と考えると単なる惰性だったのかもしれない。もっと時間と労力を割いて、踏ん張らなければ、いずれにしてもうちのような小規模事業者は苦しいんだよね。

そんな風に考えると、今回の事態が教えてくれたことはとても大切なことなのかなとも思う。恐らくわたしは、日々を、なんとなく生きていたのではないかとさえ感じる。

時間は有限だ。いつかよく口にしていたフレーズだが、改めてそう感じる。

もう少し、のんびりしていたいけど、もっとやることも、やれることも、やりたいことも、あるよなあ。それを忘れたときに燃え尽きてしまうんだ。

まだわたしの心には情熱がある。だからもう少し焦って生きたいと思う。


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