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ギャン泣きする代わりに、私は盆踊りを踊る

先日、下鴨神社の御手洗祭に行く道の途中で、手を繋いだお父さんと娘さんがいた。娘さんは3歳くらいだったろうか、何か気に入らないことがあるのかギャン泣きしていた。

お父さんに手を引かれて歩きながら、それでも「ううーーー」とうなるように泣きつづけている。当たり一面にいる人に、「どうだ!!私は泣いているんだ!!!」と主張するように。

有り余るパワーがコントロールできずに、外に漏れ出てしまっているように見えた。

彼女の泣きたいという気持ちに共鳴しながら、私はいつからあんなに人前で大声で泣かなくなったんだっけ?と思った。嫌われることも恐れずに泣けるのが、私は少し羨ましい。

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とは言え私は泣き虫だ。30過ぎて今の会社に入った時、締日のあまりの大量の伝票の量にパニックになって、泣きながら仕事をした。本当に締まるのか?と恐れ慄いた。(結局間に合わなかった。)

それでも、以前よりは人前で泣かなくなった。泣いたって何も変わらないからだ。「泣く」という行為は感情の発露でもあるけれど、見た相手をコントロールしようとするところもあるのかもしれない。私を心配してほしい。見てほしい。

もちろん、我慢したいけど止められない涙もある。それも分かる。悲しくて涙が出ちゃうんだもん、悔しいけど仕方ないよね。だからトイレで流す涙もある。

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それでも、20歳以上の大人が道の真ん中で大泣きするところはほとんど見たことがない。(カップルの大ゲンカぐらい?)

皆どうやって、感情をコントロールする術を身につけて行くんだろうか。

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私にとって「文章を書く」行為がそれに近いことに気づいた。身に収めきれないほとばしる感情を外に出す行為が「書く」ことだ。

私にとって、これはギャン泣きである。止まらないのだ。

いつだって豪速球のストレートしか投げられない私は、他人と上手に距離を取ることができない。「好き」という気持ちだってどこかでガス抜きしないと、うまく伝えられる気がしない。本人に私の気持ちを全て向けてしまうのは危険だ。一方的に注ぎ込んでしまう。結局抑えるしかない。

そして発散する方法は人によって楽器を弾くことだったり、イラストを描くことだったり、友達と話すことだったりで自分の気持ちを調節していく。形を変えて昇華する。受け取る人はご自由に。

そして、もう一つ内に溜まった感情を発散する行為を手に入れた。それは

盆踊りである。

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ここ4〜5年、京都市内ではほんとに盆踊りをするお寺や神社が増えたと思う。

盆踊りの音楽はテープを流す(もう古い表現だけど)のではなく、太鼓や楽器のついた生歌が多いのも、京都に来て驚いた。ライブである。

御手洗祭に行って御手洗池に浸かった後に行ったのは、錦林盆踊り大会

運動やダンスは苦手だと私は思い込んでいた。だから人前で踊るのも苦手だった。しかし、京都でよく踊られる江州(ごうしゅう)音頭は覚えてしまえば単純なステップで、ずっと踊っていられる。

今までの私は、相手の行動や言葉に「意味」を求め過ぎていた。言語化できないまま意味もわからず取り敢えずこなす、というのが苦手だった。故に、体で覚えるのも苦手だった。

盆踊りはその振り付け自体には特別意味はない。(いや、私が知らないだけであるのかもしれないが。)ヒップホップのような複雑な動きもない。単純な動きで皆が同じタイミングで手を鳴らしたり、手を上げたり足を前に後ろに出したりしながら、音頭に合わせてやぐらの周りをグルグル回る。

他人とうまく距離を取れない私が、江州音頭が流れている間は人の輪に入ることができる。

老いも若きも、男も女も、素人も玄人も、ガイジンさんもシャチョーさんも、やぐらの周りをグルグルグルグル回りながら踊り狂う。誰も上手い下手を気にしない。汗と熱気と笑いがあるだけだ。

慣れている人で少し我流を入れて踊る人もいる。ぎこちない動きの人もいる。それを温かく受け入れる空気が盆踊りには、ある。

ヨイトヨイヤマカードッコイサーノセーーーーッッ!!

みんなで大声で合いの手を入れる。なんとも言えないグルーブ感と一体感。

関東のベッドタウンで生まれ育った私は、大人が大勢集まって夏祭りで盆踊りを楽しそうには踊っているのを、子供の頃に見たことがなかった。むしろ、輪の中に入るのが恥ずかしかった。

それはやっぱり、京都という土地柄もあるのかもしれない。私のいた街はよそもんの寄せ集めだったので、土地柄の盆踊りもなく共通の土地の記憶もなかったんだろうと今なら思う

恥ずかしがり屋だった昔と比べて今ではどうだ、暗闇の中提灯の灯りに照らされて堂々と盆踊りを踊り狂う

この夏は盆オドラーになる予定なので、週末が楽しみで仕方がない。こうして私は私の行き場のない熱量を盆踊りで発散する。みんなの輪の中に入りたい。理不尽も悲しみも、ちょっとだけ耐えられる気がする。

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冒頭の女の子はこれからどんなつまずきや諦めがあって、人前で泣くのを止めるんだろう。そしてどんな方法で「泣く」だけでは気持ちが伝わらないことに気づき、「泣く」以外の表現を発見していくのだろう。

大丈夫。泣かなくても、あなたの気持ちは別の形で上手に昇華できる。彼女にたくさんの心の発見がありますように。

#盆踊り #盆オドラー #好きな日本文化 #なるべくnote

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