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アーティストが何さ。日々の暮らしを淡々とこなす中にも、美しさを見つけれたら。

やさぐれている。なんだかやさぐれている。思い通りに行かない日々や、気持ち。折角出雲大社にまで行ったのに、なんなんだ。

「アーティスト」という言葉を毛嫌いしている。私が振られたのもアーティストではない凡人だったからだ。特に秀でた才能はなかったから、好きな人に全く大切に扱われなかったし、むしろ蔑まれた。

故に、何にも生み出せない自分に対してもコンプレックスを抱いている。アーティストに恨みはないのだが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のである。

私が生み出せるのは文章だけだ。好きなものを好きだと発信するだけ。

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祖母の話をしよう。

祖母は小学校を卒業して高等小学校に入学すると、戦時中で学徒動員があり、あまり勉強できなかった。
工場で働いたが、自分にはあんまり仕事がなくてわざと油で手を汚して洗っていたらしい。

結婚は20歳の頃にお見合い結婚で、祖母と祖父は元々親戚筋で、顔は知っていたけれど今でいうデートもないまま結婚したそうだ。

米農家をしているのだが、祖母は結婚して初めて農作業をするようになった。初めて肥料をまいた日に、肥料をまく三本ヤリが足に刺さってケガしたそうだ。刈った稲を運ぶのは重かった。妊娠してお腹が大きい時は、その上に稲を乗せて歩いた。

祖母は編み物が好きで、私のいとこのセーターなども編んでいた。

編み物はとても上手だったが、祖母は人前に出てそれを誰かに教えたり作品を作って売ろうとはしなかった。

ただ淡々と、自分のために、家族のために編み物をする。

その祖母の血を継いだ母も、やはり縫い物であるキルトが趣味だ。だが母も人に教えたりせず、自分のために縫い物をする。縫い物ができることを決して偉ぶることもしない。

私が一人暮らしで猫が飼えず「猫が欲しい」とポロっともらした時は、猫のぬいぐるみを即席で作ってくれた。

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確かに、自分の作品が世に認知されて、それで生活していけるのは素晴らしい。外に出よう出ようとするのはいいよ。

だけど、日々の暮らしを淡々とこなす美しさもあるのだと思う。

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おばあちゃんと「いい人」とどうやって出逢うかって話になって、そしたら「『さずえている』魂があって、それでご縁は生まれる」だって。

「さずえている」の意味を後で叔母さんに聞いたら、「備わっている」って意味とのこと。

どうして生まれ持った魂があるのに、私は私を見つけてあげられないのだろう。等身大の私以上になろうとしていた。無理に大きくならなくていいのに。目の前の人を大事にできれば、それで良かったのに。

だから、私も私のために淡々と文章を編もうと思う。祖母や母みたいに。

#毎日note #なるべくnote #やさぐれ #おばあちゃん


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