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御坊のシンボル・紀州鉄道について教えます!!

こんにちは!御坊市非公認PR部隊・ゆーやと申します!今回は第2回目ということで、鉄道好きのゆーやが今回は御坊市のシンボル的存在の紀州鉄道について紹介します。

和歌山の鉄道網について

2024年現在、和歌山県内では大手ではJR西日本、南海電鉄の2社。中小・ローカルでは和歌山電鐵と今回紹介する紀州鉄道の4社が運行しています。

そもそも和歌山県は鉄道空白地帯も多く、鉄道があるのは主に紀の川沿いと和歌山市内、太平洋沿いに限られています。

かつては幾つかの地方鉄道がありました。一つ目は野上電鉄。海南市の日方駅から海草郡野上町(現:紀美野町)の登山口駅までを結んでいましたが、1994年に廃止されました。

もう一つは有田鉄道。有田郡吉備町の藤並駅から金屋口駅を結んでいましたが、2002年に廃止。晩年は1日2往復しか走っていなかったというエピソードがあります。

紀州鉄道とは?

紀州鉄道はJRとの乗り換え駅である御坊駅から西御坊駅までのわずか2.7kmを結ぶローカル線です。かつてはその先日高川駅までありましたが、1989年に廃止されています。

実は紀州鉄道、日本一短い私鉄路線なのです。2.7kmを8分で結びます。ぶっちゃけ言わせてもらいますと、(失礼かもしれませんが)正直廃線になっていてもおかしくない路線なのです。今も存続されている理由については後ほど触れます。

2024年現在、和歌山県内では唯一の非電化路線でもあり、1両編成の気動車(ディーゼルカー)がのんびりと御坊路を駆け抜けます。

本数は1日18往復で、曜日関係なく毎日同じダイヤです。

車両紹介

続いて車両紹介です。

KR301形

KR301形
側面には宮子姫のイラストが
車内



KR301形は元信楽高原鉄道(以下:SKR)のSKR300形車両でした。SKR列車衝突事故による廃車車両分の補填として1995年に製造され、SKRでは20年ほど活躍しました。元々SKR引退後は廃車解体となる予定でしたが、紀州鉄道が購入し運用されることとなりました。

当初はSKR時代の塗装で運行されてきましたが、のちにオリジナルの塗装に変更。下部分の塗装は緑で、側面にはお馴染み宮子姫のイラストが描かれています。

車内はボックスシート主体で、ドア付近はロングシートとなっています。

現在は基本的に土日前後を中心に運用されているようです。


KR205形

KR205形

KR205形は1992年製です。こちらも元SKRであり、前述のSKRの事故後に急遽製造されたものです。こちらは2017年2月にSKRからは引退し、すぐに紀州鉄道に譲渡。同年4月にデビューしました。側面はKR301とは異なり窓が連続して配置されているのが特徴。窓は家などと同じように横に開くタイプです。下の塗装は赤で、そこにはは御坊の人気者・みーやちゃんのイラストもデザインされています。車内は301とは異なりオールロングシートです。こちらも当初はSKR塗装で運用されていました。

現在は平日を中心に運用されているようです。


過去の運用車両

キテツ1,2形

キテツ2形

1985年に北条鉄道向けに導入されたレールバス車両です。2000年に1、2009年に2が導入されました。キテツ1はいつごろ引退したのか不明ですが、2015年の時点では運用されていませんでした。その後2017年に有田川町鉄道公園に譲渡され、静態保存されています。

キテツ2は2017年に引退しましたが、車籍は残されており、事実上の休車となっているようです。

キハ603形

キハ603形

1960年に大分県の鉄道会社に導入されましたが、路線が廃止されたため1975年に紀州鉄道に譲渡されました。長年紀州鉄道の顔として活躍しましたが、2009年に引退しました。その後も保存されましたが、2018年に飲食店に転用。2024年現在は設計事務所として使われています。

余談ですが3月に設置されるみーやちゃんの^_^マンホールには、現行車両でもなくこのキハ603がデザインされています。やはりこの車両は今でも思い入れが強く、高い人気を誇るというのがわかりますね。

車両紹介は以上です。

路線紹介

起点となる御坊駅はJR管理駅であり、紀州鉄道のホームはややこぢんまりとした印象。御坊駅を出ると路線は左にカーブし、田畑の合間を走り抜けます。その後市街地が見えてきたら右にカーブし、すぐに学門駅があります。学門という名前の通り縁起の良い駅とされており、入場券が受験生らから人気を呼んでいます。

学門駅を過ぎるとすぐに紀伊御坊駅に着きます。紀州鉄道で最も大きい駅で、鉄道事務所もあります。

紀伊御坊駅を出ると左にカーブし、市街地を駆け抜けながら市役所前駅、終点の西御坊駅と停車します。

紀州鉄道が残る理由

紀州鉄道は、経営自体は苦しい状況が続いています。実際私が乗車したときも、車内はまばらでした。にも関わらず、存廃に関する話は一切ありません。それは一体なぜなのでしょうか?

その理由は、紀州鉄道の本社があるのは東京都内であり、メインはホテル事業であるからなのです。

紀州鉄道は全国各地でホテルを運営していますが、やはり鉄道は企業のブランド力向上の起爆剤になります。だからこそ、鉄道を残して高いブランド力を保とうとしているのです。

今後は過疎化により、運転免許を返納する高齢者の方が増えますので、鉄道が必要な人も増えるかと思います。だからこそ、存続させていく必要があるのです。ただ、何もしないよりは市などと連携し各種PRイベントなどを定期的にやっていくのが大事です。

今後とも、紀州鉄道についても当ブログでも定期的に取り上げていきたいと思います。ご覧いただきありがとうございました!!

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