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スーパージャンキーモンキー ~サイン入りレコードA to Z (Donuts版) 第20回 SUPER JUNKY MONKEY

※無料で全文読める「投げ銭」スタイルのノートです。

2017年12月5日から2020年3月31日まで『ドーナツマガジン』に掲載された『サイン入りレコードA to Z』というコラムを加筆修正したものです。

第20回 SUPER JUNKY MONKEY

(2018年5月8日公開記事を再編)

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SUPER JUNKY MONKEY
『SONGS ARE OUR UNIVERSE』 CD


1993年12月12日
友人に誘われ、あるバンドを観に下北沢シェルターへ。そのバンドに興味があったわけではないが、週末の予定は何もなかった。その日の出演バンドは3組。その中に彼女達はいた。

SUPER JUNKY MONKEYというバンドの名前は聞いたことがあった。ちらっと見た雑誌には人気があるように書かれていたが、その日の彼女達の集客は噂ほどではなかった。 しかし、彼女達のライブは衝撃的だった。特にヴォーカリスト。ダイナミックな身体の動き。ステージ上でグワッと振り降ろされる上半身にワンテンポ遅れて伸びてくるおさげ髪が魅惑的だった。

4日後に行われるライブをレコーディングしてライブ盤を出すという告知があった。行きたいと思ったが、当時大好きだった2組のバンドが共演するイベントと同日。既にそちらのチケットを購入していたので、泣く泣くあきらめた。

終演後、機材を撤収しているメンバーの姿を見て驚いた。ステージ上の印象より遥かに小さかった。


1994年1〜2月

この頃、SUPER JUNKY MONKEYは頻繁にライブを行っていた。彼女達に興味を示す人間が周囲に全くいなかったので、一人で通った。
ウォークマンで録音したライブのテープをくる日もくる日も聴き続けた。

1994年3月20日
前年12月16日にライブレコーディングされた『キャベツ』のレコ発。このライブ盤が彼女達の最初のアルバムだった。半ば強引に友人を3人連れ、三軒茶屋ヘブンスドアへ。 この日まで何度か彼女達のライブを観てきた。彼女達を目当てに来ている客はそこそこいるものの、盛り上がっている感じはあまりなく、いつも物足りなかった。

ライブが始まった。友人達の表情が変わっていった。
"Revenge"という40秒弱のファストチューンでダイブした。ヴォーカリストの睦ちゃんが大喜びした。
終演後、友人達と飲みに行った。朝までSUPER JUNKY MONKEYの話をした。
その日以降、みんなでライブに通った。


1994年4月4日

新宿ロフトで、初めてきちんと睦ちゃんと話をした。
メンバー全員に『キャベツ』のCDにサインを入れてもらった。

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SUPER JUNKY MONKEY
『キャベツ』 CD

Mutsumi623、KEIKO、かわいしのぶ、まつだっっ!!
1994年4月4日 @新宿Loft


1994年4月20日
ロフト以降、2回ライブを観に行き、睦ちゃんといろいろ話すようになった。
すっかり仲良くなった睦ちゃんとライブを観に行くことになった。WRENCH、GMF、BLIND JUSTICE(後のenvy)が出演していた。
平日だったが、睦ちゃんにせがまれ、打ち上げに参加することになった。
大勢で店に向かっていた時、少し前を歩いていた睦ちゃんと友達の会話が聞こえた。「SUPER JUNKY MONKEYっていつぐらいからお客がつくようになったの?」という問いに「12月のシェルターから」と答えていたのが聞こえ、嬉しくなった。

その日出演していたバンドマンとも仲良くなった。それまで観に行っていたのは歳上のバンドばかりだった。同世代のバンドマンと繋がりができた忘れられない日となった。


1994年某日
10月にリリースされるアルバムの収録曲、"記憶の捏造"のコーラス入れに参加。レコーディングというものを体験した。

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SUPER JUNKY MONKEY
『SCREW UP』 CD


SUPER JUNKY MONKEYのライブには、余程のことがない限り必ず観に行った。地方に行ったりもした。
テレビ番組の収録を手伝ったこともあるし、U.S.ツアーに数日同行したこともある。当時、一大ブームを巻き起こしていた野茂英雄を観に、みんなでドジャース・スタジアムにも行った。

IMG_8801 (編集済み)

SUPER JUNKY MONKEY
『あいえとう / A・I・E・T・O・H』 10"


SUPER JUNKY MONKEYのメンバーとスタッフには本当に良くしてもらった。よく遊んだ。よく飲んだ。
でも、一番遊んだのはやっぱり睦ちゃんだ。ライブに行ったり、飲みに行ったり、買い物に行ったり。長電話も頻繁にした。手紙ももらった。口論もした。

地球寄生人

SUPER JUNKY MONKEY
『PARASITIC PEOPLE / 地球寄生人』 CD

1998年
彼女を取り巻く環境が一転した。バンドの音楽的な方向性にも変化が現れた。ライブの雰囲気も。
別人のようになってしまった睦ちゃんと話すことが辛くなってしまった。ライブから足が遠のいた。

7月17日にシェルターで行われたSTROBOのレコ発を観に行った際に、SUPER JUNKY MONKEYがゲスト出演していたが、睦ちゃんとは挨拶程度の会話を交わしただけだった。

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SUPER JUNKY MONKEY
『SUPER JUNKY ALIEN』 CD


1998年8月27日
新宿リキッドルームで開催されたイベントで、SUPER JUNKY MONKEYを観た。そのサウンドは前回よりも進化していた。

SUPER JUNKY MONKEYの出番が終わってから、ロビーで顔を合わせた睦ちゃんと久しぶりにゆっくり話をした。彼女はとても喜んでくれた。

イベント終了後も、睦ちゃんといろいろ話した。
ライブアルバム『キャベツ』が数年後にアナログ化していた。他のメンバーには、前年のあるイベント(※)で共演させていただいた際にサインを入れてもらっていたので、睦ちゃんにもお願いした。
帰り際に「またね~」とぶんぶん手を振ってくれた睦ちゃんの笑顔が忘れられない。それが最後だった。

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SUPER JUNKY MONKEY
『キャベツ』 LP

KEIKO、かわいしのぶ、まつだっっ!!
1997年12月30日 @渋谷Cyclone

※睦ちゃん以外のメンバーが各々のユニットで出演。私はDJとして参加させていただいた。
Mutsumi623
1998年8月27日 @新宿Liquidroom


1999年2月
真夜中に電話が鳴った。
「ゴベちゃん・・・」
ベースのしのぶちゃんの声を聞いた瞬間に、睦ちゃんが死んだと思った。

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『PERFECT MAG.』VOL.7

1999年5月9日に新宿リキッドルームで開催された睦ちゃんの追悼公演『SUPER JUNKY MONKEY / MUTSUMI TRIBUTE - HOLY MOTHER OF MEATLOAF』の入場者に配られたパンフレット。


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SUPER JUNKY MONKEY
『E・KISS・O』 CD


2008年12月
ライブハウスで久々に会った3rd Stone from the sun(SUPER JUNKY MONKEYの所属事務所)の小林さんは、開口一番に「来年の6月にイベントやるから!」と言った。驚きはなかった。彼がそう言わなければこちらから「やらないんですか?」と尋ねただろう。
10年目となる2009年にみんなが集結することを信じていた。ずっと。

毎年、2月5日(睦ちゃんの命日)の前後はSUPER JUNKY MONKEYばかり聴いている。
彼女達と過ごした日々を思い出しながら。みんなで会える日を待ちながら。


2009年6月20日 @Liquidroom
『SUPER JUNKY MONKEY presents "Songs Are Our Universe"』

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ジェイソンズ、WRENCHという、これ以上は考えられない最高の組み合わせが実現した。
フロア前方には知った顔がたくさんいた。
そして最後に登場してきた3人の姿を見て涙腺が緩んだ。3人の出した音は10年ぶりとは思えないタイトなものだった。私にとって、このバンドが昔も今もこれからもナンバーワンであることを再認識した。

ありがとう、ケイコちゃん、しのぶちゃん、つつ。
ありがとう、スタッフの皆さん。
ありがとう、ファンの皆さん。
そしてありがとう、睦ちゃん。あなたに会えてよかった。

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SUPER JUNKY MONKEY
『LIVE WE'RE THE MOTHER of MEATLOAF! HYPER COLLECTION』 DVD+CD

*     *     *

【追記】

『SUPER JUNKY MONKEY presents “Songs Are Our Universe”』からちょうど3ヶ月後の2009年9月20日。睦ちゃんに会いに、友人達と彼女の故郷に行った。

睦ちゃんの墓前に立ったのは8年ぶり。長いこと顔を出せなかったことを詫び、いろいろなことを報告した。
脳裏に数々の思い出がよみがえった。去りがたかった。


その後、睦ちゃんのご家族が経営する「海賊料理 舟小屋」へ。
久しぶりにお会いしたお父さん、お母さん、お姉さんが、とびっきりの笑顔で迎えてくれた。

有名店(全てが絶品)、しかも連休ということで大変お忙しい中、お母さんとお姉さんは、睦ちゃんやSUPER JUNKY MONKEYのメンバー、関係者のエピソードをたくさん聞かせてくれた。

お母さんから手紙をいただいた。睦ちゃんが書いたものかと思ってしまうくらいそっくりな文字で綴られていたその手紙には、U.S.ツアーに同行した際に睦ちゃんと一緒に撮った写真がプリントされていた。
こぼれ落ちそうな涙を必死にこらえた。

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あの日から随分ご無沙汰している。
(お姉さんとは、2年前の2daysイベントの際にお会いできた)

数年前から治療を続けている腰や膝の状態が良くなったら、舟小屋の皆さんと睦ちゃんに会いに行きたい。

本日は623の日。


海賊料理 舟小屋
静岡県焼津市田尻北1628-2
054-624-5483


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