noteがあった

何かを書き留めておきたいと思った時に、ブログはなかなかいい存在だ。まったく人に見せない覚え書きにiPhoneのメモアプリを使っているが、やはり緊張感がなく、とりとめもない。このnoteにしても多くの人の目に触れるわけじゃないけれど、一応は公の場だ。いすみの田舎でもパジャマで出歩くことはなく、最低でもジャージぐらいは身につける。その程度の緊張感──文章として最低限の身だしなみは調えてもいい。

NIFTYにもブログを持っているけど、たまにはフォーマットを変えたくなる。刺激が欲しいのかもしれない。原稿用紙や万年筆を変える行為にも、きっと何らかの刺激があるはずだ。文体を左右するほど大げさじゃなくても、少しだけ心を左右するささやかな刺激。

noteは割とシンプルにテキストを書けるので、こういう何でもないことを書く時には……いや、正確には書こうとも思ってないな……。

今、僕は太平洋に向かい、流木で作った適当なベンチに腰を下ろしている。ベンチは大げさだ。ただ流木を組み合わせて座れるようにした台。それは少し小高い丘にあって、眺めがとてもいい。左手に太東崎、右手に大原漁港が見える。正面には、高いうねりの海。

波の音は途絶えることがない。かなりの音量なのにまったく耳障りじゃない。ドーンと響く重低音、シャーという泡が弾ける音。ずっと流れ続けている潮騒。耳を決して疲れさせず、飽きることもなく、いつまでも聴いていたい。完璧な音楽じゃないかと思う。

大原漁港のある南側の海は、陽光に照らされて銀色に輝いている。太東崎のある北側は、海の青と波の白のコントラストが効いている。180度をぐるりと見渡す。どこかで必ず何かが動いている。波、雲、砂浜の草、沖を走る船。穏やかで、見続けていたい。これ以上の動画もない。

いろいろなことを考えるが、ほとんどはまとまりなく散り散りになっていく。そういう思考の破片が心の中で吹き寄せられ、少しずつ集まって、いくらかのかたまりになりつつある。もう少しまとまれば形になりそうだけど、まだぐしゃぐしゃに柔らかい。

それにしても気持ちいい。2月がこんなに暖かいと……と、先の気候を憂いたくなるが、とりあえず今のところは快適だ。あまり未来のことばかり考えると気が重くなるから、今だけ見よう。刹那的なわけじゃない。逃げるつもりもない。ただ、そうやって少しずつ未来を遠ざけておくことが、生き抜く知恵ってものだ。


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