半分こ

部屋を出る。
昨晩、ナオくんは突然切り出した。もう決めてしまったのなら一刻も早く出て行って。そう言ったのは私。分かった。ナオくんは頷き、明日引越すと言った。
 四年間一緒に暮らした小さな部屋は、つい先日更新したばかりだ。更新前は何となく引越を考えたりもして、二人で不動産屋に通い、様々な物件を物色した。水回りや収納を確認するナオくんの目はとても真剣だったのに、一体いつから別々に暮らすことを考えていたのだろう。
 二人共好きな仕事をしている。収入はさほど良くないけれど、生活に困るほどでもない。そのうえ何でも面白がれる抜群の想像力も持ち合わせていたので、毎日二人でよく笑った。

だから多分しあわせな生活だったんだと思う。

経済的負担は平等に、というモットーのもと、私たちは月々決まった金額を共有の財布に入れて、そこから家賃や公共料金など共通の支払いを行った。毎月余った分は積み立てておき、ある程度まとまったお金になると「ごほうび」として少し大きな買い物をする。ソファとか、すごくいいヘッドフォン、レゴで作るミレニアムファルコン、電子ピアノとかそんなやつ。悩みに悩んだ末に購入したホームシアターセットは大当たりで、しばらく家にひきこもって映画三昧の日々を送った。
 この何ヶ月かに一回の「ごほうび」を告知するのは私の役目だった。お決まりの効果音を歌い、貯まった金額を発表しようとすると、ナオくんはいつも仕事の手を止めて、子供みたいにきらきらした目で私をじっと見たものだ。
 ところが別れる段になると、「ごほうび」の産物をどう分ければよいのかが難しい。極力「平等的半分」に分けようというのがナオくんの目標らしく、全品物の買値金額の合計を算出し、その半額相当分を各々所有すべきだと主張した。おまかせします。作業をナオくんに全振りした私は、当時のレシートを探し当てて電卓をたたくナオくんを漠然と眺めながら、昨晩の別れ話の復習をしていた。
 好きな人がいるのだとナオくんは説明した。シンプルな理由だ。その人はもちろん私ではなく、ナオくんは全然相手にされていないのだそうだ。どうにか振り向いてほしいと切に願うナオくんは、私と一緒に暮らしながらの努力では中途半端で良くないと考えた。男の人はこういうことではいくらでもずるくなれるはずなのに、ナオくんは慎ましい。
「ちゃんと半分に割り切るのって難しいな」
電卓を片手に途方に暮れかけているナオくんの声で我に返る。リラックスした雰囲気のナオくんは本当に今日出て行くのだろうか。
「ナオくんのほしいものを全部持っていって。それで半分こということにしましょう」
「ダメだよ。不公平になっちゃう」
口を尖らせるナオくんはかわいい。
「ほしいものも特にないし、御餞別ってことで」
私の言葉にナオくんは笑顔で応えようとしたが、うまくいかず顔がぐわっと歪んだような、何だか複雑な表情になった。そして結局ヘッドフォンとホームシアターセットを荷物の中に詰めた。
 ナオくんが自分の部屋に戻り、本格的に荷造りを始めると、私はリビングに一人残って、食器棚の中からナオくんがこれからも使いそうな物を梱包しはじめた。散歩中にふと入ったお店で買った桜の木のお箸を一膳。フリマで買ったイッタラの青いお皿を一枚。スターバックスのキャンディマグは、ナオくんが雑誌に持ち込んだ原稿がはじめて採用されたとき、お祝いに私がプレゼントした。必要かな。迷惑かな。過ぎる気持ちを無視して淡々と丁寧に新聞紙で包んでいくと、ダンボール箱は着々と埋まった。
 部屋の荷造りが終わると、ナオくんは車を借りにいった。ドアが閉まり、突然家の中がしんと張りつめるので、慌てて私は歌を歌う。

「じゃ、行くね」
借りてきた軽トラックにてきぱきと荷物を積み込んでしまうと、ナオくんは玄関に直立した。
「ごめん。ありがとう。すごく楽しかった」
少しクセのあるやさしい声が下手な声優みたいに平坦に聞こえた。両手を力強く握りしめているせいで、腕の筋肉が堅く隆起している。
「ひとつだけ聞いてもいい?」
そう言って私は彼の強張った両手をほどいてあげた。
「いつか何かがあって、ナオくんがここに戻ってくる可能性はほんの少しでもあるのかな」
ナオくんはまっすぐに私を見て、これ以上ないほどはっきりと言った。
「ない。その可能性はゼロ」
ごめんな。もう一度謝り、肩を落とすと、また両手を力強く握りしめてしまう。
「大丈夫。もう行って。遅くなっちゃうよ」
そう言う私をナオくんは片手でぎゅっと抱きしめると、おでこにキスをした。そして本当に本当に出て行ってしまった。
 ナオくんを好きな気持ちはまだたくさん私の中にある。ありすぎるくらいあるのに私にはもう使い途が全然ない。この気持ちも誰か、できればナオくんの好きな人と半分こできればいいのに。

 車の音が遠ざかった。何もかも半分になった部屋で、胸いっぱいの感情をもてあましながら、私は膝を抱えて座り込むしかなかった。