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【エッセー】回想暫し6 札幌創成川沿いの教会

 幼稚園と小学校時代、毎日曜日、創成川そうせいがわ沿いの教会に通った。幼稚園と教会が一体であったので、卒園後もそういう仕儀となった。創成川は札幌を東西に分ける起点であるが、当時はありふれた小さな流れにすぎず、情緒を望むべくもなかった。
 もう40年もの昔、家族を連れて北海道旅行をしたとき、札幌を訪れた。有名な時計台の近くにその教会はかつてあった。まだ存在しているのか否か判らぬままにそこまで歩いた。すると、あったのである。古色蒼然として、日常使われているふうにはとうてい見えないが、とにかく残っていた。ドアノブを回してみると、簡単に開いた。ひっそりとした礼拝堂内部は、そのときからさらに30年ほど昔の雰囲気をよく保っていた。清潔な佇まいで、どうやら日曜日には使われているらしい。懐かしかった。
 あのころの私は、いまでは信じられないが、そこで賛美歌を歌っていたはずである。お祈りの文言も多少は憶えている。が、家ではしなかった。宗教とは縁のない家庭であった。
 キリスト教最大行事のクリスマスのお祝いでは、礼拝堂で寸劇が行われ、私もその他大勢の一人として舞台に立った。主題は毎年、たとえば東方三賢人が、生まれたばかりのイエスを訪ねるといった有名な場面の再現であった。台詞らしきものを全然覚えていないからには、私は立っていただけなのであろう。
 そのあと、サンタさんがやってきて、皆にプレゼントを配った。だれもがほくほくの顔で受け取る。何とも幸福なひとときであった。当時はどこの家庭も貧しかった。幼い子にとって、ノート1冊、鉛筆1本が貴重であった。
 幼い子へのプレゼントには、しかしながら、若干の多寡の差があった。かりに、52週礼拝皆出席の子と、1回だけ出席の子とが、同じプレゼントをもらうのでは、公平なようでかえって不公平というものである。1年間ずっと通った者にとり、プレゼントが同等では確かに面白くない。
 上級のプレゼントを手にするには、クリスマス前3ヵ月ほどの出席率が重要であった。9月ともなると、それまで見たことのない子らの出席が俄然多くなった。彼らが首尾よく成功したとはとうてい思えない。その日から日曜日の半日を教会に献げ、クリスマスまで皆出席を遂げるのはなかなかに難しい。今日は休もうかなという日曜日が必ずあったりする。彼らの試みは明暗を分けたが、暗の方がずっと多かったのではないか。
 子どもなりにそれは一種のギャンブルと言えた。私はこれらを傍観して、自らを9月からの出席組に堕落させた。だが、それは見事な失敗に終わった。鉛筆1本の境遇を甘受せねばならなかった。どうやらそのあたりが教会との別れになったようである。
 同教会は正式には日本基督教団札幌教会と言い、プロテスタント派に属する。私は、メソジストという語を当時の記憶として持つ。幼いころからの耳学問でキリスト教義も少しは脳裏にとどまっている。私の狭い体験からすれば、日本人は宗教に寛容であり、それを率いる組織にも寛容である。後者に対しては寛容にすぎる。
 組織には固有の論理があり、中心に座る者は、生き残るために教義をも改変して羞じるところがない。その宗教が長い歴史を持てば持つほど、改変はあらゆる方面にわたり、かつ限度をはるかに超えて、原初の人間が知れば、ぶっ魂消たまげて言葉を失うに違いない。
 最近、『ジェインエア』や『人間の絆』を再読したが、登場人物たちの会話にしばしばキリスト教が登場し、旧教と新教との対立は深刻であり、ほとんど仇敵同士の様相を呈していた。西欧社会はそれらの凄まじい闘争を繰り返して来、いまもしている。私はキリスト教を含めて宗教一般に対しては、敬して遠ざけた方がよいと考える。教義がいくら立派でも、その組織が過去に何をしてきたかを注視すると、二の足を踏むのである。
 さて、ネットで検索すると、同教会のメルヘンチックな外観が現われる。おそらく大がかりな改修が施されたのであろう。観光案内にも、時計台を観たあと、もう少し足を伸ばして同教会にも是非などと書いてある。是非そうして戴きたい。優に百年の歳月を刻む教会である。一見の価値はあると思う。


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