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「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第三章(1)

第三章 草原を西へ
 

 
 匈奴は文字を持たない。 それゆえ、『 後漢書』( 中国古代史書) のなかに、「元興元年、北単于は再び使いを敦煌に送り、遣子入侍を乞う」とする自分たちに関する記述のあるのを知らない。遣子入侍の候補となった本人も、むろんこれを知らない。
 このとき、後漢朝へ送られそうになったのは、北単于の二子息のうち、弟の方であった。
 名を鷲亞留じゅあると言った。
 長じてからの鷲亞留は目立つことを避け、北単于の後を継いだ兄鷲亜羅じゅあらを背後から支えることに懸命になった。
 鷲亞留の見るところ、新北単于鷲亜羅の退くことを忌む勇猛果敢さは、諸王や兵士たちに優るが、敵の策略を見抜ぬき、危険をいち早く察知することや、勝敗の行方を的確に推することにおいては、なお未だしの感があった。
 新北単于のもとで、北匈奴が敵との小競り合いにしばしば後れを取ったのは、おおむねそのことが因となった。されど、勝敗は時の運。このことは、さして問題にされなかった。
 されど、一擲乾坤いってきけんこんを賭する大きな戦ともなると、北匈奴の将来を無にする致命傷を受ける懼れがあるゆえ、鷲亞留は頭を痛めた。
(猪突猛進ばかりでは、後漢軍に勝てぬ。退くことがあっても、最後に勝てばよいのだ。
 が、 兄は退くことを知らない。 兄の匹夫の勇は臆病の裏返しだ。 幼いときからの小胆しょうたんを恥じ、それが露見することを恐れて、ひたすら蛮勇を奮う。ついにはそれが常態と化した。それゆえ、兄は、いかなるときも退くに退けないのだ)
 鷲亞留は、北単于が事あるごとに作るひび割れやら穴ぼこやらの修復に追われた。放っておくと、北匈奴の滅亡を招きかねない。
 鷲亜羅自身も、おのれの欠点に気づいたかして、つねに弟の意見を求めるようになった。兄弟の表と裏の分業は、それなりに成果を上げ、北匈奴の衰退を防いだ。しばらくは、平穏な時が流れた。
 尤も、戦闘がなかったというのではない。匈奴とて、好き好んで戦に出かけるのではない。天候次第で、羊や山羊、牛などの食べる草が不足する。必然的に、人間の食べる羊や牛などの数が減る。そうなると、よそへ出かけて略奪するしかなくなる。それが遊牧民の宿命であった。
 狙うのは穀物、食糧および人。穀物や食糧は当然として、人は女ならば子孫をつくるために、男ならば耕作と物作りのために要る。遊牧民なるがゆえに、農夫と職人と奴隷は必需品なのである。
 かくして、北匈奴は西域諸国を侵し、後漢との境界を襲った。けれども、北単于は鷲亞留の意見を容れて、後漢軍との正面衝突を注意深く避けた。
 鷲亞留は、こうした成果を積み上げることにより、北匈奴の中興も可能かと期待を抱いた。しかしながら、鷲亞留がいかに知謀の面で奮闘しようと、躰は一つしかない。寸暇を惜しんで飛び回っているさなかに、決定的な凶事が起きた。
 後漢の順帝永建えいけん 元年( 一二六)、 北匈奴呼衍王は、 後漢の猛将班勇はんゆう( 字は宜僚ぎりょう) によって大敗を喫した。班勇は、剛勇無双でつとに名高い班超の三男である。このとき、北単于の従兄が捕斬された。
 北単于は、これを知って赫怒かくどした。鷲亞留がいれば、北単于を諫止かんししたであろうが、運悪く遠方にいた。
 北単于は、戦の備えもそこそこに万余騎を率いて、車師しゃし後部( 新疆ウイグル自治区トルファン盆地。その北方を車師後部、その南方を車師前部と称した) を襲った。後漢に靡いたばかりの車師後部を再び北匈奴に従属させ得れば、後漢に対する報復になる。
 されど、 班勇が素早く仮司馬曹俊そうしゅんを救助に走らせたため、 北単于は、 曹俊によって撃破され、あまつさえ骨都こつと侯( 単于の政事補佐) を失う。北単于にとって、この失態はまさに弱り目に祟り目であった。
わしには、運もなければつきもない」
 北単于はなげいた。
「 しばらくは呼衍王の強運に賭けましょう。 呼衍王が勝てば、畢竟ひっきょう、 後漢もわれらに一目置かざるを得ませぬ」
 鷲亞留は兄を慰めた。呼衍王の力が増すとともに、北単于に対する陰口が強まった。いささか不快ではあるが、鷲亞留は捨て置いた。
 それから数年、北単于は、時に叛し、時に復する信用ならざる西域諸国のありように目を瞑り、ひたすら兵力の充実に努めた。北単于なりに鷲亞留の戒めに従ったのである。
 ところが、さらに大きな凶事が起きた。陽嘉ようか三年( 一三四) 夏、閶吾しょうご陸谷に置いた北単于庭が突如、襲撃された。車師後部の司馬が一千五百人を率いて、不意打ちを仕掛けてきたのであった。
 鷲亞留は、自領でこれを伝え聞くと、
「単于庭がいきなり襲われただと。それはあり得ぬ」
 と、絶句した。単于庭の警戒は極めて厳重であり、襲撃を許すはずがないのである。
( 内通があったのかもしれぬな。いまの北単于では頼りにならぬと…… )
 鷲亞留は、北匈奴の命運の尽きることを恐れた。心の落ち込みそうなみずからを叱りつけて、兄のもとへ急いだ。
いおり ろ か く
被害は甚大であった。 いおりは破壊され、 数百人が犠牲となっていた。 とりわけ、 鹵獲ろかくされた量が半端ではなかった。北単于の母や季母きぼ( 最も年の若い叔母)、婦女数百人のほか、牛羊十余万頭、車一千余両、兵器、数多あまたの什物と、眩暈めまいのしそうな量にのぼった。
( 痛恨にして屈辱の極み… … )
 鷲亞留は唇を嚙んだ。
「歯牙にもかけなかった車師後部ごときにこのざまだ。あの人は実母でなかったとは言え、不名誉このうえない。この骨に染み入る怨みをどうしたものか」
 北単于は痛苦に呻吟しんぎんした。
「耐えることです。かつての匈奴の力を回復するまで」
 鷲亞留も、さすがに決まり切った科白せりふしか口にできなかった。
 翌陽嘉四年( 一三五 )、 北匈奴呼衍王が車師後部を襲い、 前年の衆怨しゅうえんを晴らした。 後漢は救援すること能わず。車師後部は、ひとたびは手にした大戦果をふいにした。
 呼衍王の活躍を耳にする都度、北単于の顔色は曇った。鬱々と楽しまぬふうが幾日も続いた。
 某日、北単于は、鷲亞留にすら言葉を残さずに姿を消した。それが永遠の別れとなるとは、さすがの鷲亞留も想いもしなかった。
( 兄は、われらに秘して車師後部の司馬を屠りにいったのだろうか。あるいは、かつて父が母の仇を討つため、自陣営を遠く離れたことがあったように、兄にもわれらに話せぬ私的な事情があったろうか)
 鷲亞留はあれこれ考えたが、ついに答えを見出せなかった。兄はついに帰らず、子息がなかったゆえ、鷲亞留が新北単于となることになった。鷲亞留は、心中の慟哭どうこくを秘してこれを受け容れた。
 単于を名乗ったとは言え、昔日の単于の勢力の二割ほどもない。鷲亞留はおのれの出身氏族を含む十ほどのそれの長でしかなかった。
 それからおよそ二十年── 。鷲亞留は、北匈奴の中興に粉骨砕身した。が、その成果は微々たるものであった。
( われらは急坂を転がる落石だ。だれがそれを止め得よう)
 鷲亞留は、ついに、それまでいた烏孫うそんの地を見限り、康居こうきょの北への移動を決意した。遊牧民にとってすら、いまだ一度も見ぬ土地への移住は、戦以上に心に重くのし掛かる。
 けれども、部族の生き残りのためには、どこへなりとも行くほかはなかった。鷲亞留は、すでに老境に入って久しい。表では余裕を漂わせ、裏では泣いた。部族民は不満を漏らすことなく鷲亞留に従った。
 史書には、
─ ─ 延熹えんき初年( 一五八) ごろ、北匈奴は東部西域を放棄して、烏孫の領土( 天山山脈の北方、イシク湖畔からイリ川の盆地を含む。現カザフスタン領およびキリギス領)を経て、西の方康居の領土( スィル川〔シルダリア川〕下流域からアラル海のあたりまで。現カザフスタン領) の北へ移動していった。
 とある。


 
 北匈奴のみならず遊牧民は移動する際、廬をはじめ、あらゆるものを持ち運ぶ。
 ふつう、一つの廬に五、六人が住み、一家族をなす。六から十ほどの廬の家族が一つの集団をなし、それが十個ほど集まって一氏族となる。いわゆる部族とは、氏族が十個ほど集まったものを言う。
 かりに一つの廬に五人として、十廬五十人が一つの集団をつくり、十集団五百人が一氏族をつくるものとすると、鷲亞留の率いる部族は十氏族五千人ほどということになる。
 この頭数が大挙して移動するのでは、規模が大きすぎてあらゆる面で問題を惹き起こす。鷲亞留は氏族ごとの別行動を命じ、食糧の徴発をはじめ必要不可欠なことは、各氏族の長の才覚に任せた。
 日々、それぞれの伝令が疾駆し、連絡を取り合ったものの、各氏族のほとんどに悲劇の起きるのは避けられなかった。
 なんと言っても痛かったのは、飢餓に苦しめられたことで、食糧を略奪しようにも、その対象となる地域民がいない。家畜は草を求めるも、水のない土地に良質の草なぞ望むべくもなかった。
 鷲亞留の直接指揮下に収まった四氏族は、水と緑のあるところ、すなわち、故地からさらに遠ざかる西北の方角へと進んでいった。
 飢餓に慣れている部族ではあったが、進み行く先に何があり、いかなる人が住んでいるのかの見当もつかない地で、飢餓に悩まされたことは、苦難続きの鷲亞留の生涯のなかでも、二度と思い出したくない最悪の経験であった。
 北匈奴の人々は、弱い家畜が仆れると、その死んだ家畜を食べることによって、自分たちの滅亡を一日刻みで先へ延ばす。あたかも暖を取るためにみずからの廬の一部を剥ぎ取って火にくべるように。
( この状態が続けば、われらはいずれあらゆる家畜を失って、部族まるごとの絶滅を招くであろう…… )
 心中、焦慮した鷲亞留は、泰然自若を装いつつも、転機の訪れるのをひたすら願った。ある日、鷲亞留のもとに十二、三歳ほどの男の子が連れてこられた。色白で眉が太く、 ひときわ大きな目は灰色である。痩せたその子は、鷲亞留らとは明らかに異なる人種であった。
「飢えているようには見えぬな。どこにいた」
 鷲亞留が問う。
「大きな岩陰にたった一人で寝そべっていたというのです。腹をすかせていました。こちらが与えた食い物をがつがつ食べたそうです。われらの空腹を知らぬげに」
 氏族の長伍離玖ごりくが苦笑しながら答えた。鷲亞留が後継に見込んだ若者である。
「はてな。このあたりに人の住めそうなところは見当たらぬが…… 。馬はいたか」
 鷲亞留はそう問いながら、少年を見た。相手は探るような目を一瞬、こちらに向けた。
 が、顫|《ふる》え上がっているふうでもない。
「いいえ。一頭も。われらと同じ遊牧の民の子どもが仲間とはぐれ、おまけに馬を失ったのでしょう。この子をどうしますか。ここで解き放しますか」
 伍離玖は、厄介事にならぬうちにといった意をほのめかした。
「馬がいないとなると、どうすることもできまい。その子を助けてやれ。言葉は通じるか」
「さっぱりです」
「されば、この子をボルテに預けて土地の事情を聞き出すことだ。言葉が通じないのであ
れば、わずかでも通じるようになるまで、この子を留め置くがよい。これからは異なる言葉とのつきあいばかりだ」
「わかりました」
 伍離玖は男の子を引き立てていった。少年は振り返ってもう一度鷲亞留を見た。命の助かったことを喜んでいる風情があった。
( あの子は、われらの言葉を少しは解するのではないか。仕込めば、ボルテと同じように使えるようになるかもしれぬ)
 鷲亞留は、旅の途中で若い女を拾った。女は異なる人種であったが、北匈奴の言葉に通じていた。交渉事に随行させたところ、重宝した。それ以来、身近においている。その女がボルテであった。
 二日後、鷲亞留の率いる一氏族は、思いがけなくも小さな緑洲( オアシス) に辿り着いた。二千人ともなると、緑洲を占拠する形となった。
 現地の人は、こういったことに慣れているらしい。多数の北匈奴の戦士やその家族を見ても、驚きもしなければ、警戒もしなかった。
 人と家畜は、われ先にと水をがぶ飲みし、生色を取り戻した。鷲亞留は、毛皮を食糧と交換することによって、かなりの量を入手し得て、はじめて愁眉を開いた。
 次いで、各氏族に緑洲の発見をしらせるべく伝令を派した。この緑洲の人々も、鷲亞留たちの髪や皮膚の色、鼻の高さ、目のつくりや顔かたちなど、およそ似通ったところがなかった。ボルテともまた違っていた。
「馬で三日の地に草原があります。その草原を利用しているのが、キルクの属する部族のようです」
 ボルテは早速、緑洲の民とあれこれ話をし、仕入れた消息を鷲亞留に報じた。
 遊牧の民の移動には、それぞれの地形に似合ったやり方がある。夏は高地、冬は低地への移動もあれば、夏は北、冬は南へのそれもある。
 鷲亞留のいまは、そういった長い歳月が授けてくれた知恵とは無縁であった。いわば運を天に任せて移動するしかなかったのである。
「キルクというのは、二日前に拾った少年のことだな」
「はい。そうです」
ボルテは、余分なことを一切話さない。
「緑洲の人々とは話が通じたか」
「はい。四つの言葉を介してようやく通じました」
「ううむ。難しいものだな。キルクとはどうか」
「もうしばらく時間がかかりそうです。あの子の言葉はとても難しいのです」
 ボルテは伏し目で答えた。鷲亞留を怖がっているのか、敬服しているのか。前者であろうと鷲亞留は見ている。
「なんじは、これからはいくつかの言葉を使えるように努めよ。キルクと二人して教え合ってもいいな。われらの旅がいつまで続くかは、だれにも判らぬが、終わったとき、なんじは自由の身だ」
 鷲亞留は、自分の口にした「二人して」の言の葉に、兄とともに父の帰りを待ったあの若羌チャルクリクの地での心細さを想い起こした。
( あれから瞬く間に光陰は流れた。儂はめっきり老い、わが部族は新天地を探しあぐねている……)
 鷲亞留は、時の経過の残酷さに顔をしかめた。


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