見出し画像

【エッセー】回想暫し3  黒い牡牛

 小中学校時代、市中の映画館で映画を鑑賞する学校行事があった。私は飛んだり跳ねたりのスポーツ行事よりも、映画や音楽鑑賞のように躰を動かさない方を好んだ。なかでも、「黒い牡牛」に魅された。少年レオナルドと黒い牡牛イターノの愛と友情のドラマ。私の十二、三歳ころのことである。
 同映画を見たあと、クラスでは「君はどこにイターノ」といった会話が流行った。黒い牡牛の名がイターノであった。記憶しているのは、映画のラストで、イターノが闘牛士と闘い、背中に槍を刺され、刺殺寸前にまで追いつめられるシーン、主人公の少年と傷ついた悽愴たる姿のイターノが、闘牛場を去ってゆくシーンなど。私たちは、少年とイターノの友情と勇気に感動して涙を流した。
 
 数年前、ふと、あの雄壮なイターノを思い出し、YOUTUBEで検索してみた。すると、いとも簡単に懐かしの映画に再会した。まさかもう一度、見られるとは思わなかっただけに、想いはいつしか当時に翔んだ。
 原題はthe Brave One。勇気ある者といったところか。原題が示すように米国映画であった。が、これは少々、意外であった。と言うのも、闘牛場はローマのコロッセウムのごとき円形競技場であったから、私は主要舞台はローマとばかり思い込んでいた。実際の舞台はメキシコであり、スペインとの関係からメキシコでも闘牛は伝統なのである。
 
 レオナルドとイターノの仲は、後者が生まれ落ちたときからはじまる。毎日、両者は兄弟のごとくに一緒に駆け回って成長した。イターノは雄々しくも逞しい闘牛に育つ。
 闘うのはイターノの宿命であるが、その日は諸々の事情から意外に早くやってくる。イターノはトラックに乗せられ、闘牛場へ送られる。レオナルドはイターノを救うべく市内を駆け擦り回り、とうとう大統領のイターノ救命の嘆願書を手に入れ、サイドカー付きのオートバイで闘牛場に駆けつける。だが、タッチの差で間に合わない。止めようにも、イターノは闘牛場内へ突進する寸前だったのである。
 映画のラストは闘牛場内の死闘シーンの連続である。大観衆の見守るなか、イターノは闘牛士とひたすら闘う。力と力の激突。私たちは、イターノがあの赤い布に幻惑されずに、ちょっと躰をずらして闘牛士に体当たりすれば勝てるのにと、口惜しがった。
 イターノが闘牛士を角にかける場面もあったが、ついに、最上級の闘牛士がそれ用の剣を持って登場する。落ち着き払ってイターノに対する。イターノは絶体絶命の死地にある。私たちのハラハラドキドキは最高潮に達した。イターノの背には早くも三本の槍が刺さっている。
 闘牛においては、牛の方が圧倒的に不利である。闘牛士たちは長年の経験で、牛の動きをすべて把握している。仕留める技にも長けている。たまに闘牛士が牛の角に突かれるハプニングはあるものの、たいがいは闘牛士が勝つ。ラストに登場した闘牛士が剣を翳したとき、イターノの生き残れるチャンスは皆無であった。
 
 一九五六年の制作。登場人物に嫌なやつは一人もいない。大統領ですらレオナルドの訴えに耳を傾け、イターノを救おうとした。あれだけの傷を負って、イターノはその後どうなるのだろうか。音楽がまたいい。私たちは皆、泣きながら見ていた。この映画は近年リストア版が出た。名画は何十年経っても名画。レオナルドが闘牛場内に飛び下り、イターノ、イターノと叫びながらイターノのもとに駆け寄る姿もまた忘れられない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?