直談判。受けてめてくれた北九州市。楕縁。
ウエールズ代表誘致のおはなし②
東日本大震災の翌年。2012年。
私が北九州青年会議所で理事長を務めたこの年、日本青年会議所の全国会員大会が北九州市で開催された。
大会が終わった2日後。
大会の御礼に副市長を訪ねた際、やんわりと直談判。こんなチャンスないので。
「副市長、7年後に日本でラグビーワールドカップがあります。北九州市でぜひ強豪国のキャンプ地を誘致したい。ターゲットは南アフリカです。」
副市長はすぐさま北橋市長に報告してくださり、南アフリカのマンデラ大統領を政治家として尊敬していた北橋市長(映画インビクタスの影響らしい)はこの話に興味を示してくださり、ラグビーワールドカップのキャンプ地誘致はこんな感じでスタートした。
ちなみにまだミクニワールドスタジアム北九州の計画無し。
当時のターゲットはティア1と呼ばれる強豪国。なかでもワールドカップ後に繋がりのもてそうな、北九州市が技術輸出(水道事業や民間企業あらゆる分野)できそうな南アフリカを考えていた。(最終的にはウエールズ1本に絞った誘致活動となる)
その後、北九州ラグビー協会の会長が、平木会長から吉田通生会長にバトンタッチされた。
吉田通生さんは小倉高校→早稲田大学ラグビー部で活躍されたスクラムハーフ。奇しくも前任の平木会長と同ポジション。仲間を活かしてチームの勝利を勝ち取る術を知り抜く方々。
吉田会長は北九州市議会議員として長年ご活躍。日本ラグビー協会の森喜朗会長(当時)とは早稲田大学ラグビー部の同窓。
吉田会長のおかげで、日本ラグビー協会、北九州市役所、北九州ラグビー協会が1本の線で繋がった。
この後、吉田会長のお人柄と人脈で次々とすごいことが起こり出す。
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