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「楽しかった記憶」が「いじめられた過去」をオブラートで包むことができる幸せ

一般的には、子育て終了といわれる年齢に差し掛かっているので、当時のことを少しだけ冷静に振り返ってみようと思う。

長男は、まあまあいじめられっ子だった。友達も多いし、スポーツもめちゃめちゃ得意ではないけれど、それなりに足も速いし、運動ができないほうではない。賢いというわけじゃないけれど、ぎりぎりオール3くらいの成績はあったし、作文とかはわりと面白く書けるほうだった。でも、天然のボケキャラだったので、そこがターゲットになってしまったのか、なんとなくいつもいじめられていたような気がする。

20台も半ばになり、息子に聞いてみたところ、「ケンカはよくしたけど、いじめられていた記憶がない」という。

まじか

いや、お腹を蹴られて帰ってきたり、パンツを脱がされたり、帽子を川に投げられたり、水筒をぼこぼこにされたり、シャーペン壊されたり、いろいろあったはず・・・。

細かなことを聞いたら、「ああ、あったな、そういうこと」のような返事も返ってきたけれど、暗い顔をして口をつぐむというような反応はまるでない。

いじめたほうは覚えていなくても、いじめられたほうは忘れない。

いじめを取り上げたテレビや読み物で、そういった内容を見たことがある。普通に考えたらそうだと思う。いや、いじめたほうだって忘れないんじゃないかと思う。

でも、うちの息子は覚えていないという。

なんでやねん。

ずっと継続していじめを受けていたわけじゃないから、楽しかったことや面白かったことも、いじめられた過去の中にいっぱいちりばめられているから、いじめられたことだけが記憶の中でクローズアップされるわけじゃないのか。。。

大勢からいじめられるという構図じゃなかったことが救いだったのかもしれない。うちの子の場合は、ジャイアンみたいな子にずっといじめられる形で、ジャイアンがいないときは、ほかの子と平和に楽しく遊んでいたように思う。

けがをして帰ってきたり、頻繁に学校から電話がかかってきたりしていたから、私の思い込みではないはず。

先方の親にも先生から話をしてもらったり、直接話をしたり、私もいろいろ動いたけれど、ジャイアンの母親に「いじめられるほうに問題がある」と言われて、この人に話をしても無駄だと思ったことがある。

まったく覚えていないわけではないはず。でも、それを上回る友達とのかかわりや出来事がきっと、いじめられた過去をオブラートで包んでくれたのかな。

今が幸せなら、それでいいかと思う、きょうこの頃です。




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