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毒親はたいていセットな件

先日40歳になった。おめでとう、自分。
そして両親がセットでサディスティックな異常者(毒親)だったとようやく腑に落とせるようになった。

母はことあるごとにヒステリーを起こし、兄と日常的に取っ組み合いの殴り合いを嗜み、私が小学3年生になるころには体力ではかなわなくなった兄を威圧せんと包丁を振り回しながら「死んでやる~!!!!」と絶叫する物理攻撃をする狂人であったので、毒親判定は容易だった。

彼女はすでに故人だが、「早めに死んでくれて良かった」と心の底から思っている。まだ存命だったとしたらラジコンよろしく暴力と泣き落としで好きなように搾取されていたはずだから。

問題は父だ。

父は物理攻撃はしなかった。直接殴ったり、酒・ギャンブル・女にハマることもなく、当時のサラリーマンとしてはそれなりに高収入・高学歴、性格も穏やかで外から見れば「すてきな旦那さん」「優しいお父さん」だった。それは私にとってもある時点まではそうだった。というよりそう思い込みたかった。

「優しいお父さん」は母が存命中、一切わたしに関心を持たなかった。わたしが楽しんでいる趣味を見て「変なの(笑)」「おっかし~ね(笑)」と事あるごとに評していた。だからなのか父の前で好きなコンテンツを見ることは羞恥を伴う苦行である。父のお眼鏡にかなった内容でなければ(父曰く)悪気なく「変なの(笑)」と嘲笑される。兄、父、母が食卓で和気あいあいと談笑している姿も覚えている。そこには当然わたしの居場所はなかった。同席できても賑やかしとしてしか存在価値はなかった。たまに兄抜きで食卓に集まると空気は重苦しく、一生懸命わたしが話をしても両親は気の抜けた返事しかしなかった。

わたしは精神科ユーザー(閉鎖病棟へ複数回入院経験あり)になって20年以上経つが彼は精神病に対しての簡単な知識も持ちあわせていない。父は読書家だ。常日頃、仕事に関する資料を読み、息抜きに新書や小説を読むくらいには読書家なのだ。だからこそ娘の病気について無知である点に打ちのめされそうになる。

わたしが無職ニートの元配偶者から暴力を受けている事実をしったときも父は極めて冷静だった。努めて冷静に振るまおうとしている、という解釈にすがりたかったが、そうではない冷静さだった。健康な母が道路で蹴躓くと血相変えて「○○(母の名)!!大丈夫!?」と大げさなまでに彼女を気づかっていたのとは対照的だ。

父がわたしに唯一関心を持ったとすれば孫を生んだことだ。孫には関心を持ってくれた。わたしに対する記憶はほぼないけども、孫にはとても献身的で、「優しいじいじ」ごっこを演じる父を見て大声をあげて殴りかかろうとする衝動を抑えようと自分の脛が血まみれになるまで掻きむしっていた。

以上が悲しいが両親ともに異常者だったというエピソードだ。当人たちがディズニー映画のようなお姫さまと王子さまだと思い込むための使用人として子どもは存在していた。彼らを止める大人は存在せず(彼らを擁護する大人は居た)、彼らがマンションの密室で行い続けた犯罪は決して露呈しなかった。決定的な証拠は何一つ残っていない。そしてわたしは精神病者だ。だからこの犯罪を訴えたところで「妄想じゃないの?」「あんな優しそうなお父さんを悲しませちゃだめよ」「今までさんざん世話になったのに」「服薬は続けていますか?」という言葉で全ては闇の中となる。

わたしが確たる物証を突きつけられなくても、嘘つき呼ばわりされても40歳にして厳然たる真実にたどり着けて、心からホッとしている。今世の旅路があとどれだけあるか分からずともここまで来れたことに感謝しつつ生きぬいていこうと思う。

     \\\今日が俺のセカンドバースデーだ!!!!///

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