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だめんずうぉ~か~と『美女と野獣』

 唐突に言う、私は泣けるほどのだめんずうぉ~か~である。元旦那を含め、過去お付きあいした男性に正社員はいなかった。学生、無職、短期派遣…とまともな就労経験者がいない。『年収400万なんてゾッとする』婚活ガチ勢からすると白目を剥いてあぶくを吹くレベルである。『たとえ働かなくても主夫として頑張ってくれるなら良いじゃない』と仰る方もいるかもしれない。だが、得てして外でも働かない男は家でも勿論働かない。彼らが求めているのは『パートナー』ではなく何から何まで文句ひとつ言わず世話を焼いてくれる『母親』なのだから。(文句でも言おうものなら殴って躾けておけばいいと思うような人間性の持ち主だ)

 最近、電車広告で『美女と野獣』を見た。真実の愛で野獣と化した王子を元の姿に戻す、という美しい物語だ。戦慄した。何度となく『美女(ではないが)と野獣』をやろうとしては大失敗を繰り返した己を思い出して『やめてくれ!!!』と恥ずかしさで口元がイーッとなった。ベルは非常に聡明でかつガストンに対しても明確に境界線を引ける自己肯定感の高い女性だ。だからこそ野獣が完全に心を失う前に『真実の愛』に到達できたのだ。私はベルに憧れるフリをしたが、実態は心の中心にぽっかり空いた穴を見たくないがために野獣たちの問題に口喧しくしゃしゃり出たに過ぎない。心に穴が空いたもの同士で『ヒーロー・ヒロインごっこ』をしても理想の美しい物語は展開されず凄惨なホラーとなる。

 私はきっと救われたいのだ。世界から『ここに居ても良いんだよ』と言われたいのだ。同時に『この世界にいるためにはそれ相応に貢献しないといけない』と強迫観念に苛まれてもいる。それが『いやだいやだ』と呻きながらも他者のお世話役を買って出る矛盾の源だ。世界はただそこに在るだけで、居るために特段の条件なぞ求めていない。来るもの拒まず去る者追わず、でしかない。

 ベルのような理想的な女性には一生涯かけてもなれないかもしれない。それでも全く構わない。今の私に必要なのは惨めな私から目を逸らすために『可哀そうな誰か』の世話をすることではない。真実の愛を与える『野獣』は己自身なのだ。私の城の花弁はまだ残っているはずだ。誰かの救いを求めるだけではなく、ときに休みつつも己を鼓舞して何度だって立ち上がるのだ。救うのは己。そこからきっと始まる。


気持ち的にはこんな感じです(笑)


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