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親友と人気者に憧れたなあという話

学生時代、親友がいなかった。

仲良しグループに属した記憶もない。

人と合わせることが苦手だったし、言いたいことは言う方だった。

でも、休み時間や下校時にひとりではなかったので、友達はいたと思う。

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親友アピールする人に、相反する感情があった。

相思相愛になれるほど心を許しあっているのかという憧れ。

優越感、思い込み、陶酔、依存の類なのでは、という毛嫌い感。

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恋人同士になるときのように、確認作業はあるのだろうか。

相手にどこまでしてあげられたら親友と呼べるのか。

親友が解消され、友達に戻ることもあるのだろうか。

親友中の人たちに定義って?

と尋ねても、

そんなことにこだわるから親友ができないのでは?

と返されそうだ。

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学生時代、理想の人物像があった。

勉強ができる人 ではなく、

スポーツ万能な人 でもなく、

人気者だった。

休み時間になると机のまわりに人が集まり、

グループや班を決めるときにも希望者が殺到する。

思いやりがあり、面倒見がよい。

男女ともに人気があり、敵をつくらない。

そんな人気者が小中高とひとりずつ存在した。

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いま、小学生の子供がいる。

思い込みでも親友ができればうれしいし、

勉強やスポーツが苦手でも人気者だったら言うことない。

あくまで希望ではある。





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