見出し画像

移民向けの語学講座が始まった

OFII(移民局的なところ)の面接時に指定された「語学講座200時間」。12月の半ばから始まった。スタートの様子を紹介しようと思う(OFIIに面接に行った話はこちら)。

移民に課される語学講座の受講

OFIIの面接で、DELFというフランス語テストのA1レベル相当を受ける。これに合格できなかった人には、OFIIが提供する無料の語学講座を規定時間終了する義務が課される。

100, 200, 400, 600時間があり、私は200時間が指定された。周りをみたりtwitterで眺める感じ、日本人は100-200時間が多い感じ。

指定された時間数を終え最後のテストに受かったら、継続して通いたい人には次のレベルのA2, さらに次のB1のクラスにそのまま無料で通わせてもらえる。すごくいいサポートだと思う。

1日6時間と言っても。

1日の授業は6時間。朝9-12時、昼休み1時間を挟んで13-16時。

私の場合は週2日。だいたいの人が週2-3日な感じ。たぶん200時間コースの人はだいたい週2日なのかな?いや違うな。OFIIでは週3日を提案された。その当時、水曜日にヌヌの空きがなく娘を預けるところがなかったので、水曜は無理!といったら週2日になった。

ちなみに午前3時間、午後3時間といっても、実質の授業時間は午前と午後それぞれ2.5時間ずつ。9:00-10:30, 11:00-12:00, 13:00-14:30, 15:00-16:00。
午前と午後それぞれに休憩が30分もある。1-1.5時間の授業なら休憩は10-15分で十分では?と思ってしまう私は日本人。

OFIIから課せられた「講座受講時間」に30分×2の休憩時間もカウントされるんだ……なんてことをフランス人の夫にぽろっといったら「だってその30分の休憩も2.5時間の授業を遂行するのに必要なものだから、カウントされるべきでしょ」と。ホワイトな国だ、と感心しながらも、これが時間カウントの本来の姿なのかな、と思ったり。

フランス人の配偶者はマイノリティ?

月~金までのフルタイム授業ではないので、曜日によって開講クラスが違う。基本的には受講時間数(つまりレベル)によってクラスが割り振られる。私が知っている限り先生が5人くらいいて、みんなそれぞれ自分の担任の先生がいる感じ。1クラスはだいたい15人前後。

難民が多い

週に2日しか行っていないから全体を語っていいのか分からないが……同じ学校に通っている50%が中近東やアフリカからの難民、40%くらいがウクライナ難民、そして約10パーセントがフランス人を配偶者に持つ人、という感じ?

私が知っている限り、同じところに通う人で「難民」でないのは私含めて5人。フランス人を配偶者に持つ女性、中国人1人、タイ人1人、日本人2人と、ウェールズ人の男性1人。

フランスに住んでいる非「難民」の移民はもっと多いと思う。が、日本で、もしくはワーホリなど英語圏で配偶者と出会って、流れでフランスに来たという人以外、フランス語を話せる状態で「移民」になっているのだと思う。学生ビザで来た人とかフランスで職を得て就労ビザで来た人とか。

ちなみに駐在員や、駐在員の配偶者やこの制度の対象外らしい。旦那さんの駐在でフランスに来ている日本人の後輩から聞いた。もちろんワーホリで来ている人も対象外。

規定時間分を修了することに意義がある感じ?

私の場合は、200時間終わればまずは移民としての義務は終了。最後のテストに受かろうが落ちようが誰にも文句を言われない。
しかし、最後のテストに通ればA1相当の力があると判断され、次回からのビザ申請で10年ビザが申請できるらしい、と噂に聞いた。

難民にとっては、規定時間終了のノルマだけではなく最後のテストに合格することが大事な模様。最後のA1合格をゲットできれば、フランスで働けるらしい(が、難民でも「今日、あの子は仕事で休み」とか言ったりしているから、正確な情報ではないかもしれない)。

配偶者ビザなので、最初からフランスでの就労が可能な私にとって、この語学講座は平たく言ってしまうと「とりあえず授業に顔出せば最低条件クリア」というものになる。

1年ビザでも10年ビザでも申請手数料同じらしいので、期間の長いビザが取得できるに越したことはない。のでテストには受かりたい。ていうかバスに乗って、片道1時間弱かけて通学してる&週に12時間費やしているので、そりゃ合格したいよな。

「世界の今」を肌で感じる

12月中旬に初回受講、と指定されて行ったけど「あなたのクラスは1月からだから、12月中はとりあえず臨時のクラスで受けてね~」となんか適当な感じだった。

木曜日は400時間コースの人たちが多いクラス、金曜は600時間コースの人が多いクラスだった。どちらも随分前から開講しているので、みんな「超初心者」ではない。基本的に足並み揃えて開講しているのかもしれないけど、ちょくちょく途中からクラスに入ってくる人もいる。

アフガニスタン、イラク、チベット、シリア、スーダン、パキスタン、アゼルバイジャン、モロッコなど、今まで出会ったことのない国の人ばかり。そして生まれて初めて聞いた国「モーリタニア」出身の人も。そしたら日本の友達が「タコの産地表示でよく見るよ!」と。どうやら日本のタコ輸入量の35%がモーリタニアらしい。

年齢も色々。まだ18-19歳くらいの子もいれば、子ども連れて一家で越してきた50歳くらいのお父さんお母さんもいる。

難民とは家族で受け入れるのが当たり前、なのかもしれないけど、そもそも難民は広く受け付けない姿勢を示している日本と比べると雲泥の差だなと感じる。

日本の「移民」政策は、労働力確保という大きな目的があるから一応力を入れている。そう、技能実習生。しかし彼らは家族と一緒に来ることが許されていない。そして4か月、6か月、1年毎に更新が必要。1年は分かるが4か月とか6か月とかって短すぎないか?

Google Mapsで出身地を見てみよう!

授業で自己紹介練習をする中、先生が「みんなの出身地をgoogle mapsで見てみよう!」といい、何人かピックアップして見ることに。

みんな出身国の中でもそれなりの都会から来ている人が多いんだなぁなんて感じた。夫からの情報だから信憑性のほどは不明だけど、フランスに難民としてたどり着く人は、比較的自国で地位が高かったりお金を持っていたりする人が多いらしい。真意のほどは?

そんな中、アゼルバイジャンの男の子に話が振られた。出身地を自己紹介すると先生が「どんなところ?」と。そしたら「めちゃ小さい、ほんとめっちゃ小さいから」と。どんなところか写真で見てみたいって、興味湧くよね。「アルファベットでのスペルは?」と先生に聞かれると「アルファベットでどう表記するのか知らない」と。結局google mapsでは調べられなかったけど「とにかく住んでいた村は小さい、ほんとに小さい。村には5軒しか家がない。しかも全員親戚」って。

3万人弱の小都市とは言え、家5軒の村に比べたら、ペリグーは巨大だよな、と思った。何を思って毎日フランスで生活をしているのだろう。

みんなのこともっと知りたいけど、共通言語がお互い底辺レベルのフラ語なのでかなり厳しい。

google mapsの「Nagoya」で出てきた写真を見てみんな「c'est beau」と言ってくれた。近代的な建物がありながら緑が多い感じの写真が多かったのもあるのかな。

それにしても中近東の歴史的な建築物や、自然が多い景色の写真を見た後に、この写真出てくると異次元。もちろん名古屋はペリグーとも比較にならないほどの都会。

google maps「Nagoya」で出てくる写真


ガイド時代、お客さんに「日本はとてもビューティフル」と言われたり、ヨットとかで米豪行くと「日本は素晴らしいって色んな人に聞くから一度は行きたい」みたいなことよく言われていた。今回、日本から心理的にかなり遠いところにいる中近東やアフリカの人たちにそう言われると、違う嬉しさがある。

聞き間違いではなかった「18か月」

授業中、先生がアフガニスタンの若者に質問。「あなたはどのくらいの時間かけてフランスまで来たの?」と。彼は「18か月」と。
あれ?私が質問聞き間違えた?いや、先生何度も質問繰り返していたけど確かに自分の解釈であっているはず。先生もその子に2回くらい聞きなおしていた。

しかし彼はちゃんと質問を理解していた。ほんとに18か月かけてフランスにたどり着いたらしい。通算7か国を渡り歩き、時には1つの国に7か月ほど滞在しお金を稼ぎ。

もう一人同じ質問されたイラクの男の子も1年半くらいかけてフランスにたどり着いていた。途中滞在の国で働いたり、お父さんからの仕送りでしのいだりしながら。

自分の全然知らない世界がここにはある。

そのアフガンの男の子に「あなたはjaponから来たんだよね?何日でフランスに着いたの?」と聞かれ「え……え...…、い、いちにち…」と答えた。飛行機で到着しているから別に普通のことなんだけど、なんかあの流れで自分に話を振られると戸惑う。

「ナカムラ」を知ってるか?

自己紹介を終えた後、アフガニスタンのおじさんが私に英語で話しかけてきた。「ナカムラ、ナカムラ」と。
ちょうど私の出身地が名古屋という話をした後だったので、なに?この人もしや名古屋を知っていて中村区になにか繋がりがあるのか?とよく分からない連想をしていた。

しかし、よく話を聞いてみると中村哲さんのことだった。
「彼は医者だったが、水供給システムの設置などに尽力し、医者の枠を超えていた。彼が亡くなったとき、俺は悲しくて2日間泣いたんだ。アフガニスタン人はみんな彼のことを尊敬してる」と。

すごい、と思った。アフガニスタンで中村哲さんがめちゃくちゃ讃えられている話は聞いたことがある。しかし生でアフガニスタンの人から聞くとインパクトが違う。

私は昔、途上国開発系のNGOに勤めていた&今もNGOやNPOの広報周りに関連する仕事をしている。仕事へのモチベーションがさらにアップした。とともに、自分たちが「支援の対象」としてる人たちが今一緒に教室にいるんだと思うとすごく不思議な気分になった。

アルファベットが分かるかどうかの差

1月になり紆余曲折あり(ていうかそもそも色々きちんと決まっていなかったんじゃないか説、フランスあるある)、結局ウクライナ人のクラスに入ることになった。「あなたはアルファベットが読めるし英語が分かるから。このクラスは退屈だと思う」だそう。

私が1月のどしょっぱつに入れられたのは400時間の人が多いクラスだった。200時間コースの私がなぜ?と思ったけど、1月からのタイミングで多くの新受講生が入ってくるクラスだったからなんじゃないか?と今になって思う。

確かに、中近東やアフリカ人のクラスにいるとアルファベットってフランス語習得において1つ目の大きなハードル。日本語はアルファベット使わないと言えど、abc….xyzまでほとんどの日本人は音を言われれば書けるはず。大きなアドバンテージだ。もちろんフランス語と英語ではアルファベットの読み方が違うものがいくつかはあるが。

中近東やアフリカの人たちは(国にもよるけど)アルファベットの読み書きがスラスラできない人もいる。例えば小文字の「a」。先生は「いつも私がホワイトボードに書く時は違う書き方だけど、印刷物(活字)だとaだから。でも同じ文字だから」と説明をしていた(みなさんの想像力に依存します、分かる?自分が手書きする"a"と活字の"a"が違うって意味)。彼らにとってはそこからなのだ。

完全アウェイなウクライナ人クラスに落ち着いた

英語が分かる、アルファベットが分かる、だから英語が分かる人が多いウクライナ人のクラスへ、はまあ分かる。が、そのクラスはもう既に3か月前から開講していた。

まずは15-16人中3人以外ウクライナ人。あとはどこの国か忘れちゃったけどアフリカの子とウェールズのおじさん、と私。めちゃアウェイ。小難しい文法とかの説明になると先生がそれなりの英語で説明してくれるのは助かる。

私からするとフランス語は英語を介して学ぶと効率がいいと感じるから良い。が、たまに話が盛り上がって教室内でウクライナ語が飛び交うとすげー置いてけぼり。

やはりウクライナの事情を表しているというかなんというか。ウクライナ人の受講生の中で男性は2人だけ。もちろん旦那さんはフランスに一緒に来ているけどこのクラスには来ていないだけ、という人もいるが、結構な確率で夫はウクライナにいる、という人が多い。

あとは兄弟姉妹はドイツに住んでる、とか。どういう風に国を選んでいるんだろうか。

そしてみんな知識階級というか。飛行機エンジニア、建築家、ライター、学校の先生、など自国で豊かな生活を送っていたのだろうなという感じの人が多い。なので、フラ語の理解も早い。私は3か月後に彼らと同じくらいのレベルになっているのだろうか?

理解が早いだけでなくモチベーションも高い。テストに合格して早くA2, B1と次のクラスを受講したくてしょうがないという人もいる。

もちろんアフリカや中近東の難民が多いクラスもみんな意欲は高い。だって仕事したいもんね。イメージとしてはウクライナ人は日本人に近い感じかな。アルファベット分かるというのと「お勉強」に慣れているというのもあり、プリント配られたりした時の解答速度は速い。ただ、しゃべるとなると中近東&アフリカの人たちの方がブロークンだけどぽんぽん言葉が出てきて積極的な感じがする。

ウクライナ人の方がお勉強に慣れている、とは書いたけど、夫によると中近東&アフリカの人たちも、フランスに来る人は基本的には高等教育を受けた人が多いのだそう。でも、中には「自国では学校に行ったことない」という人もクラスにちらほらいた。

私の語学講座は春まで続く

てな感じで語学講座が始まった。平日は家にこもってPC仕事、たまにオンラインミーティングって感じの日々の中に、週2回外に出て人に会う、学ぶという機会ができたのは世界が広がってとってもいい。

が、通常は私がいっている娘の迎えを語学講座に日だけ義母や夫が時間をやりくりして代わってくれていたり、仕事が週3日しかできなかったり、となかなか生活に支障が出ているので、早いところ終わってほしいというのも本音。

日々の授業の様子はレポートしたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?