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あの時は、人ではなく「恋愛」が好きだった

誰でもよかった、といえば大袈裟かもしれない。
でも、私の恋愛という枠にハマるハードルは、限りなく低かった。まあそれは今も低いかもしれないが。


中学2年生の頃、ネット恋愛をした。
それはそれは、楽しくて忙しなくて嵐のような恋だった。
相手に「特別」な好意を向けられることが嬉しくて、恋人本人そっちのけで恋愛にのめり込んだ。


誰かの「特別」であることは、精神安定剤でありドラッグだと思う。
恋愛をしてみたかった当時の私にとって、ドラッグにしかなり得ない。
私の恋人枠に配置された人間が、私を愛しているという心地よさ。無くなるのが怖くて仕方なかった。
相手の言うことが全てで、全てが私に向いていなければ嫌で、怖かった。

当たり前のように全肯定してくれる存在が、常にそばにいないと私は死ぬんだと思っていた。ずっと。

だからどうでもよかった、相手にこだわりなんてほとんどなかった。
私を好きでいてくれる人なら、私は喜んでその人を恋人の座に座らせたと思う。
盲目だった。というより、人を見る余裕なんてなかった。

恋愛をし始めてから、大学2年生になるまで私の恋人枠は常に誰かが座っていた。
でも、そんな中でも冷静な自分は密かにいた。
たまに分からなくなっていた。何のために恋愛しているのか。

大学2年生の頃が転機だった。
私の中で、何かが耐えきれなくなった。
好きだと思い込んでいたものが、思えなくなってしまった。

何が自分に起こったのかは分からない。
けれど確実に。
「もうやめよう」、と思った。

恋人を務めてくれた人に踏ん切りをつけた。
すごく自分勝手だったから。罪悪感で初めは死ぬかと思った。
私のことを好きになる人間なんて、この先出会えないと思った。
今まで自分が行ってきた恋愛の醜さに目も当てられなかった。

数ヶ月もすると、恋愛という名のドラッグは驚くほど抜けた。
抜けたが故に、恋愛が怖くなった。

「もう、恋愛は暫くしたくない。」
固く、強く、そう思った。

「この決心を揺るがすような人と出会うまでは、絶対にしない。」
とも、思っていた。


正直、この先恋愛が出来なくてもいい覚悟だった。
今思うと、これが私の中で少し前に進めたタイミングだったのかもしれない。


恋愛をしたい、と思うことは危険だと思う。
恋人という枠に人を配置するのではない。
人と出会い、そのあとに恋愛がついてくる、そう思っている。

好奇心と己の弱さで、何人もの人を傷つけてきたんだろうと未だに嗚咽がする。
最低な恋愛をしていたと思う。
相手のことよりも、自分のことばっかりだったんだと思う。

私は私の足で立たなければいけない。
恋人に支えてもらえなければ立てない人間には、もうなりたくない。

今はそう、肝に銘じている。

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