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自分を嫌う言動に、ふんぎりを

自分が嫌いだ、と思っていると安心する。
自分が先に否定してやれば、誰に否定されても大丈夫な気がする。

最強の保身であり、最悪な癖だと思う。


究極の謙虚でいれば、自分を必要以上に卑下すれば、誰も私のことをそれ以上陥れようとはしない。
他者の言葉から、自分を守れる。


人よりも言葉に敏感なくせに、言葉をぞんざいに扱っていた頃。
昔話ではなく、本当につい最近までの話。

親も、兄弟も、友達も、恋人も、先生も、みんな傷つけてしまったことがある。
全て自分の言葉のせい。

頭で考えるよりも先に、言葉が口からこぼれてしまったことで何人もの人を傷つけたんだろう。

その場の勢い、ノリ、感情のままに話すことは危険だ。

言ってしまってから時間が経って、思い返し、自分を責めるところまでがテンプレートだった。

「あぁあ、、やってしまった。まただ」
「傷つけないように。感情を表に出しすぎないように。」

何度も自分にそうやって言い聞かせているのに、口は勝手に動く。

自分を嫌いになる負の連鎖。

相手を傷つけることが嫌なのは、人を傷つけるような自分を嫌いになって責めてしまうことが嫌だからなのだと思う。

結局自分のためなのかよ、と幾度となく思った。

相手を傷つけないようにしようと思うのは、人のためではない。
他でもない自分のため。

傷つけたことがわかったとたんに、自分を嫌いになる。

自傷行為。いわゆるリストカットみたいなのが有名だが、私は爪を噛む癖があった。

自分を嫌いになる代わりに、爪を噛んで傷つけると安心した。
心が傷つくよりも数倍マシだと思った。

しかしこれもまた、コンプレックスを産み、自分を嫌いになる要因の一つになる。

私は爪が短くて、綺麗な縦爪じゃないから。

そんなことを思い出すと、他にも自分の容姿にコンプレックスを抱き始める。

足も腕も太い。
鼻が好きな形じゃない。
唇が分厚い。
目が二重じゃない。
スタイルが良くない。

言い出したらキリがない。
嫌いになる一方だった。


そうして自分を嫌いでいると、たとえ否定されても「分かってるし。」と思えるのである。
必要以上に傷つかずに済む。

顔も分からないような人に言われたって、気にならない。なんて言える人はすごいと思う。

どんな人に言われたって、これ以上ないほど傷つく。
だから、自分で否定して、準備しておかないと心が死ぬ。


被害妄想をして、言われることを想定して、ひたすら最悪の場合に備える。

でなきゃ耐えられないメンタルの弱さに泣ける。


「自分を嫌いだと思う時間を、好きになる努力をする時間に変えなさいよ」

誰に言われたんだったか忘れたが、こんなことを言われた。

確かに、と思った。
自分を嫌いだと思うことで他者の否定からは逃れられる。
ただ、それは、好きだと思ってくれている人を否定しているということであるのも事実なのだ。

自分を好いてくれている人、肯定してくれている人を、蔑ろにしている。
それは、自分にとって最も避けたいことだと思った。

筋トレをしたり、美容にお金をかけたり、勉強したりと、いやでも自分と向き合うようにした。

どれが良かったとか、そういうことではなくて。
向き合ったという事実が、大切なのだと思う。

以前よりは多少マシだ、と思えるくらいには、自分のことを見直している。

好きでいてくれる人の言葉に耳を傾けて、大切にする。
否定の言葉に逃げない。

そして何より。
自分を嫌いになるようなことをしない。これに尽きる。

私の場合、嫌いになる方が簡単なんだと思う。
すぐ楽な方へ走ってしまう。


そんな自分にムチをうって、嫌いになるようなことをしないように、自分を大切に過ごしていきたい。

それがきっと、自分の身の回りの人を大切にすることに繋がると信じている。

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