これは雑文です
これは雑文です。
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ひとはなぜサッカーをする、あるいは観るのか?
一昔前なら頭を抱えてしまうような難題もAIがサクッと解決してくれるこの現代にあって、22人もの人間が2時間ちかくたった1個のボールをひたすら追いかけまわしている。
場合によっては、その様子を映像を通じて何十万、あるいはそれ以上?の人びとが固唾をのんで見守っている。
どうかんがえたってタイパ最悪ではないか。
ここで誤解のないよう言っておくが、ことサッカーにかんするかぎり僕はべつに好きでも嫌いでもない。
なので、ここでサッカー(やサッカーファン)をディスろうという意図はみじんもない。
サッカーでなくても、野球でも将棋でも、あるいはコンサートや美術鑑賞でもなんでもかまわない。
だが、ここに挙げたようなものについて、ーーひとはなぜ〇〇をするのか? といった「問い」につかまったが最後、どうしてもそのことについて考えずにはいられない。
じっさい、こうした問いについていえば、これといった明快な答えを持ち合わせていないことに茫然とせずにはいられない。
好きだから、とか、感動したいから、といったふんわりとした感想がただ思い浮かぶばかり。
もちろん、ここで立ち止まったっていっこうにかまわない。かまわない、のだが、さらにその先に踏み込むときひとは哲学に触れる。
はたして答えが見つかるか見つからないかはべつとして、その先へと歩を進めるその営みにこそ哲学がある、からである。
たとえどんなに小さくても、あらゆる「問い」という「問い」は気づきのための躓きである。
そのことは、いつも心のどこかでおぼえておきたいと思う。
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どうやらここのところ脳が疲れ切っているらしく文章を書く気力がいっこうに起きない。困ったものだ。
以下は、そんな最近のプレイリストから
けさ、カーテンを開けたら思いがけず屋根に白く雪が積もっていた。
DUKE JORDAN“Glad I Met Pat”
こんな日はデューク・ジョーダンの〝Glad I Met Pat〟という愛らしいワルツを部屋に流す。
ジャズピアニストのデューク・ジョーダンは、長い不遇の時代を経て欧州にその活路を見いだす。いっときはタクシーの運転手などして食いつないでいた時期もあったという。
この曲は、そんな苦労の末にたどり着いたデンマークで吹き込んだアルバム《Flight To Denmark》に収録されている。
JORGE BEN“やって来た哲人”
いま読んでいる本のなかにジョルジ・ベンの名前を見つけた。なつかしい。
いっとき、ブラジル音楽ばかり聴いていた時期があったのだ。
ボロディン 弦楽四重奏曲第2番ニ長調
日曜作曲家ばんざい! そう叫びたくなるのはボロディンの弦楽四重奏曲第2番だ。
19世紀、帝政ロシアの時代に化学者・医者として仕事するかたわら、好きな音楽の作曲を生涯にわたって書きつづけたのがボロディンだった。
そんなボロディンの名がモーツァルトやベートーヴェン、ブラームスと同列に語られる時代はこの先もたぶんやって来ないだろう。
けれど、それと同じくらい、人びとがこの肩の力の抜けたチャーミングな作品を忘れてしまうこともこの先けっしてないだろう。
そういえば、このまえ東京ステーションギャラリーで観た安井仲治の写真展でも、思わず「日曜写真家ばんざい!」と叫びたくなるような心惹かれる作品とたくさん出会った。
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