見出し画像

ホン・サンス《WALK UP》

新宿でホン・サンス監督の新作《WALK UP》を鑑賞。


いつもの対話劇ながら、今回は舞台となる小さなアパートメントが重要な役割を果たしている。


主人公は芸術家肌の映画監督。インテリアの仕事に関心をもつ娘を連れ、知り合いのインテリアコーディネーターが所有するこのアパートメントを訪れる。


アパートは、1階に軽い食事や酒を提供するカフェがあり、2階は女性シェフがひとりで切り盛りする予約制のレストラン兼料理教室。3階には彼女の住まいがあって、ルーフテラスつきの4階は売れない女性画家の住居兼アトリエが、そして地下にはオーナーであるインテリアコーディネーターの作業場というつくりになっている。各階への移動には狭い螺旋階段が使われる。

物語は、全編この小さなアパートメントの中でのみ進行し、それぞれのフロアで主人公はその住人たちとさまざまな関係をとり結ぶ。


「もしあなたがここに住んでくれなら家賃はタダでもいいわ」というインテリアコーディネーターの台詞はその伏線。


そして、じっさいに彼がこのアパートメントで暮らしているようなシーンがつづくわけだが、はたしてどこまで現実でどこからが夢なのか、その境界は最後まであいまいなまま判然としない。


その建物は覗きこんだ窓ごとに彼の人生のべつの一面を見せてくれる、いわばからくり箱のようなものと言える。


扉を開けるごとにそこにはべつの人生が…… という展開はとりたててめずらしくもないし、たとえば最近ではRM(BTSのリーダー)の新曲“Come Back To Me”のMVがまさにそんな感じだった(まあ、関係ないだろうけれどふと思い出したので)。

とはいえ、それがたんなる絵物語になってしまわないのは、ごくありふれた、けれど生々しさをともなう会話の積み重ねによって主人公の心情をじわじわとあぶりだしてゆくホン・サンス監督の手腕の確かさあってのことだろう。


ひとつの現実と虚構とかんがえるよりは、この世界にはたくさんの現実が存在している林のような場所とかんがえたほうがなんとなく豊かな気はする。


クォン・ヘヒョ演じる映画監督は、カテゴリー的にいえば“生まれてすみません系”の人物である。ご多聞にもれず、異性からよくモテる。


そのため、環境や伴侶を変えることでそれを自身の芸術家人生のカンフル剤として利用してきた面もあるが、じつはそれがただ自己と向き合うことからの逃避にすぎないことも彼自身よくわかっている。そこにこの映画の“苦さ”がある。


ちなみに、この作品の原題は《탑(塔)》。


逃げたつもりがしょせん同じひとつの建物の中を上下しているにすぎないという主人公のジリジリとした焦燥や閉塞感をそのタイトルはよくあらわしている。


この映画のなかで起こるドラマをどう受け取るか、それは観たひとそれぞれでまちまちだろう。だいたい、肝心なところで観る側に下駄をあずけてひょいと姿をくらますようなところがこの監督にはある。


ぼく個人の感想としては、すごくモテる同性の友人から「モテるってそんなにいいことばかりじゃないっすよ笑」などと言われてイラっとくる感じと、あとは舞台となるアパートメントがすごくおしゃれで憧れつつもあの螺旋階段を日になんべんも上り下りする気力も体力ももはやない、という二点だけ記してお茶を濁しておく。

追記:

ロケにつかわれたこの建物、有名な料理研究家ホン・シネさんが経営するソウル市内のイタリアンレストランらしい。気になると調べてしまういつもの癖が……

そして「POPEYE」に掲載されたクォン・ヘヒョさんのインタビュー記事。渋いな。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?