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目の前に道はなく

今日は生活保護のケースワーカーさんと福祉支援施設の人が家を訪問する日であった。
我が家は人が三人座る場所などないので家の中で立ち話である。掃除をして空間を確保する気力はない。

掃除の支援などを利用できること、近所に社会復帰を目指す人のための支援施設のようなものがあること、無理強いするのではなく自分のペースで大丈夫であることなど、大体そのようなことを話してもらったと思う。

私の方はと言えば、最近は自分の問題がメンタル的不調にあるのではなく人格側にあるのだということを再確認しているので、そのことを伝えておいた。
精神的に不健康であるのも間違いはないが、私が社会に復帰できないのはそもそも当事者意識の欠如であるとか勤労への忌避感であるとかの、不調などとは関係ないそもそもの人格に原因があるのだ、といった感じのことを喋ったと思う。
そんな自分でもできることを探していきたい、という風に話を結んで、そうですね、と同意を得たものの、私自身はそういった活動に積極的であるとは言い難い。

現状に何の不満もないかと言われれば否だが、ほとんど今の状況に満足してしまっていて、ここからの変化を自ら望むことはないだろうと考えられる。
例えば私が今やっているような毎日のブログ更新なんかに価値が生じて、勝手に毎日食っていけるだけの金銭が発生するのだとかは大歓迎だが、毎日食っていく分の金銭を稼ぐために少しでも今の自分の生活サイクルが崩れるのは我慢ならない。私は努力や我慢といったことが極端に苦手なのだ。自分が当然にやっていることに幸いにも価値が生じる、という在り方以外に、私が現状を打破する方法は考えられない。

何を目指せばいいのか分からない、とかの問題ではないのだ。私は何も目指したくない。私は私を変えるための少しの苦痛にも耐えられない。
生活保護はこういった種類の人間の生活まで保障しなくてはならないのか。真面目に働いている人が納める税金はこんな向上心の欠片もない輩の命のために使われているのか。気の毒である。気の毒ではあるが、それを享受しなければ私は生きていけない。

しんどい。その一言に尽きる。

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