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理想の眠り方

昨日の記事では布団の中で頭を無意識に掻き毟ってなかなか寝付けないというようなことを書いた。

そこで早速私は策を弄したのである。
原点回帰、即ち「マジで限界ってくらいになるまで寝ない」という方法だ。
昨日は3時前くらいまで起きていて、瞼に明らかな負担を感じてから眠る姿勢に入った。

この方法では生活習慣が乱れる可能性がある代わりに、気絶するような速やかな入眠を可能にする。
「眠る前の時間にネガティブなことを考えてしまう」という人々にもお勧めの方法だ。
ただ、確実に健康には悪い。

健康には悪くとも、私にとってはこれが理想の眠り方の一種である。
眠る前に空想に耽る時間があるのも悪くないが、ストレスなどでそんな余裕がない時もある。
心地よい時間を過ごすことはできないが、懊悩する時間を過ごすこともない。

これは私の死生観にも同じことが言える。
即ち私にとって理想的な死とは、何の前触れもない突発的な死である。
気絶するように眠ってそのまま目覚めない、というような在り方が一番いい。

私が哲学に熱心だったころ、今では誰だったか忘れたが(エピクロスだったか?)、「死は我々にとって何者でもない」といったようなことを書き残していたことを覚えている。
この言葉だけを覚えているのでどう解釈するのが正解なのか分からないが、これだけ見れば「死を恐れる必要はない」という意味だと捉えることができるだろう。

そうだ。死を恐れる必要はない。私は死ぬこと自体は怖くない。
先ほど書いたような前触れもない突発的な死「ならば」訪れても一向に構わないと考えている。

ならば、である。
死を恐れる必要はない……という言葉と矛盾しているようだが、「死と相対すること」は私にとって恐怖の対象である。
例えば死に至る病に冒されて自分の死にゆくさまを過ごすことや、首吊りの結び目を眼前にすることは、私ににとって明確な恐怖だ。

眠りと死がしばしば類似のものとして語られることがあるように、眠りについても死についても、意識の介在しないところで起こるのが最も良いと考える。
私の最期もそうあればいいと願っている。
布団の中で不安に駆られたり自傷を繰り返すようなことは、死についても怒ってほしくないと思う。

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