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食っちゃ寝食っちゃ寝ハッピーライフ

最近は非常に穏やかに日々を過ごしている。
食べては寝て食べては寝て、その合間にゲームをしてと、私の理想の生活と言えばこれだといえるくらいには文句がない。
あんまりにも穏やか過ぎて書くことがなくなるのは悩ましいが、まぁ穏やかな生活とこのnoteの文字数が増えることの優先度を考えたら間違いなく前者に軍配が上がるので、これはこれでいいのだ。

ただ、穏やか過ぎてマンネリ化しているという側面も否めない。
新作のゲームをやっている間は文句なしに楽しいが、そうでない時間に感じる退屈感は日に日に強くなっている。
また、退屈感の他に、焦燥感のようなものも感じている。「このままでいいのか?」という感じのアレだ。
このままでいいのか?と聞かれれば、「いい」。いいに決まっている。私はこれ以上のものもこれ以下のものも望まない。食っちゃ寝してゲームをしてというこの生活以外で私がうまいこと生きていくことは難しい。少なくとも私はもはやこの状況から抜け出した私を想像できない。

それでも「このままでいいのか?」という漠然とした焦りは完全には消えてくれない。
いいじゃないか。ここが私のハッピーエンドであり、末路であり、理想郷であり、墓である。何の文句もない。そのはずだ。
世界について何か書こうというのか? 私を爪弾きにした世界に、何か爪痕の一つでも残してやろうとでも? 私はいつからそんな熱血漢になったんだ、そんなことに関心など微塵もないはずだ。

ありとあらゆる世論、政治、思想、労働から隔絶した、仙境のような八畳間。私はここで朽ちることを選んだのだ。
この部屋が真に仙境になるのに不足しているのは沈黙だ。私は運動家でも思想家でも熱血漢でもないが、一人の零細ライターだ。ここに書いていることはほとんど人の目に触れることなく部屋の中で反響するだけだが、その反響が沈黙を妨げ、安寧を奪っている。誰がそれをしているのかと言えば、他ならない私だ。

書くのは面倒だが、書かないのはそれはそれで苦しい。何より、書く書かないに関わらず、ここには私がいる。私が私を見ている。これが一番ダメだ。
自らを見つめる視線のある限り、仙人にはなれないし解脱もできないし楽園へも行けない。ここはただの私がいる八畳間である。
それでいいじゃないか。それでいいじゃないか? それってなんだ? 何を指している?

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