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冬よ明けるのか

昼寝するときに暖房をつけていると暑く感じるようになった。
ズボンを二重履いたり上着を着ていると汗をかくようになった。
朝起きてカーテンを開けると白んだ冬の空ではなく青空が見えるようになった。

冬が終わろうとしているのかもしれない。
二月の中旬と言ったらまだまだ雪が降ったりするようなイメージだったが、そんなことはなかったのか、最近は徐々に暖かくなりつつある気がする。
Alexaも春一番がどうとか言っていた。私は毎年のように「冬眠したい冬眠したい」と唱えながら冬を越すものだったが、今年はそんな妄言を吐くまでもなく越冬したようだ。

三寒四温という言葉もあるくらいだから、これからまた寒くなったり暖かくなったりを繰り返しながら春に向かっていくのだろう。
となると、そろそろ花粉が舞い始めるころだ。私は花粉症持ちなので、この時期はある意味寒い冬よりも外出が面倒である。

私のようにあんまりぼけっとしていると桜の咲いた散ったも見逃しそうだ。
そうして季節は巡って、五月の頭くらいにはあっという間に暑い暑いと言い始める。

私のこの生活が始まったそもそもの原因、実母の死からもう一年が経とうとしているわけだ。早いものである。
これから生きていくにつれて、体感時間はどんどん短くなり、老いは加速していく。
私自身が老いるだけでなく、周りの環境もどんどん変わっていくだろう。この生活も、果たしていつまで続くのか分かったものではない。

まだ20代も半ばなのに、一丁前に老いるのが恐ろしい。
肉体的な変化はもちろんのことだが、精神的に老いたときに私はどうなってしまうのだろうか。
私の座右の銘は「人生を快適に過ごすにあたって、一貫した座右の銘など必要ない」というものだ。いくら私が老いても、私は老いた私を肯定して生きていくことができる。

と、いうのは今の私の考え方だ。この考え方自体が一貫したものでない以上、老いるにつれて何か特定の価値観に拘り始めて、精神の自由を失くしてしまうかもしれない。
それもまたよし、と今は言える。特定の考え方を得ることで精神安定を得ることができるのであれば、それはそれで肯定されてしかるべきだろう。
しかし、思考の柔軟さを失って、その結果自分の精神を痛めつけ続けるようなことになってしまったらと思うと、やはり時が過ぎ心身が老いるというのは恐ろしいことだと思わざるを得ない。

だから少なくとも今は、へらへら笑っていられるようにしよう。
冬が明け雪が解けるまでは。春が来て桜が咲き散るまでは。

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