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一億総私刑執行人

私刑とは、刑罰を執り行う立場にない人々によって起こされる暴力行為全般を指す。
あらゆる悪事とあらゆる正義が容易に共有されるインターネット全盛の今、ストレスの捌け口を求める多くの人々にとって、私刑は一般的な娯楽の一つとなっている。

そう書くと「インターネットが私刑を助長している」という主張をしているように見えるかもしれないが、私はそう言うつもりはない(積極的に否定したいわけでもないが)。
インターネット以前にも私刑はごく日常的に発生していたはずだ。語の定義からして、私刑が生まれたのは法と刑罰が生まれるのと同時である。
今昔や地域、宗教や信条に関わりなく、人々は度々義憤に駆られ、法を通すことなく独自の裁きを下してきた。インターネットはそれを顕在化しやすくしただけで、私刑そのものは法と刑罰を正当なる裁きとして戴いて以来変わらず繰り返され続けている(助長していると言うつもりがなく助長していないと言うつもりもないのは、インターネットによって顕在化される以前の具体的数値に関してデータを得ることができないためである)。


前置きを書いている間に物凄くやる気が減退してしまった。
この記事を書こうと思ったのはTwitterの「○○に抗議します」「○○を許すな」といった類の義憤に満ち満ちたハッシュタグ群にめちゃめちゃな不快感を覚えたためである。記事を進めようとするたびに、そういった「正義の人々」の主張と自分が今やっていることとが根本的に同じものであるという風に思えて、自分が物凄くしょうもない真似をしているのではないかというやるせなさにキーボードを打つ手が止まる。
私は正義を主張したいわけではなく単に嫌悪感を感じているだけだと思っているが、それも自分を贔屓した恣意的な線引きに過ぎない。「私は正義を主張したいわけではない」なんて、いかにも正義の人々が言いそうなセリフだ。

私は普段、嫌悪感を文章として出力することがない。
それはニートであるという身分が社会的ストレスからある程度疎遠であり、そうした主張をすることでストレス発散とする必要がないというのが理由の一つである。自分と異なる他者の存在を許容できず、心身に影響が出たために社会から零れ落ちたわけで、Twitterのトレンド欄やらバズっているツイートのリプ欄やらといった地獄を目にしない限り、私はそうした嫌悪感を表明せずにいられるわけだ。
そして仮にそういったものを目にしてしまったとしても、それは別にブロックなりミュートなりトレンドから非表示するなりするのが最も容易な解消方法であると考えているためでもある。別に私には自分の嫌悪感の対象についてつらつらと書かなければならないという義務はない。見て気分の悪いものがあれば見ないようにすればいいのであり、それと向き合って文章として出力するのは、殊勝ではあるかもしれないが書いていて面白いものではない。読んでいても面白くないだろう。

今回それを敢えて記事にしているのは、いくらかの失望があったからだ。
Twitterで「○○に抗議します」みたいな、「そうなんですね」からのブロックで済むようなよく分からないハッシュタグが流行し始めたのは、どれくらい前からのことだろうか。私はこうしたハッシュタグを異質な文化の混入であるとみなし、Twitterが幅広い層に使われ始めていることを確認したに留めたが、今日のトレンドを垣間見て発見した地獄から、「異質などではない、結局は同じ穴の狢である」と考え直された。
思えば当然のことなのだ。義憤はごく一般的な感情であり、私刑もまた普遍的にありうる行動だ。そして、Twitterのトレンドなんかは投稿数の多い語を自動的にピックアップするものであり、そこには確実に偏りが発生する。私刑執行人が集う場所を覗きに行って「なんて私刑執行人が多いんだろう」と嘆くのは、虫をいっぱいに詰めた籠を見て「虫がいっぱいいて気持ち悪い」と言うのとなんら変わりない。自ら首を突っ込んでその環境に対してあれこれ言うのは、自分の目を曇らせる原因にもなるし、なによりメンタルに優しくない。


ここまで指示語を多く用いて具体的に何に関する話題なのか言及するのを避けてきたのは、私自身が同じ穴の狢であることを少しでも忘れたいがためであると思う。
結果的に、何について書いているのか後で読み返して全く分からない、不明な文章を書いてしまっている。
しかしまぁ、その方がいいだろう。こんなものはさっさと忘れてしまった方がいい。

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