見出し画像

昔はメモ帳が大好きだった

ふと思いついたアイデアや疑問などをメモ帳に残しておく、というのは、今でも通用する普遍的なやり方だと思う。

私も大学生になって1年間かそこらはそんな調子で、講義で色々なことを聞くたびに湧いてくるアイデアを汚い字で走り書きしたものだった(思えば昨日の記事の中で触れた「夢は視覚情報なのか」みたいな疑問もメモ帳産だった気がする)。
なにかにつけてメモ帳を取り出してごそごそ書き始める姿は、傍から見れば「なんだコイツ」と顰蹙ものだったかもしれないが、今の私のようなアイデアを取り扱わなければならない人間としては望ましい態度だったと思う。

ただ、今の私はメモ帳を全く使わない。
理由はいくつかあって、メモ帳を使うのが面倒だから、メモ帳に書くようなアイデアが湧くことが少なくなったから、手の届くところにメモ帳がないから、といった調子である。
もちろんパソコンやスマホにも電子メモ帳のようなアプリを率先してインストールしてはいるものの、このnoteのアイデア出しに用いられたことは皆無だ。
辛うじてEvernoteのスクラッチパッドにいくつかアイデアが書き残されてはいるが、これも随分前のもので、最近は全然書き足していない。

昔は自分の手でアイデアや疑問が一冊のメモ帳に集約されていくのに大きな満足感を感じたものだったが、今となってはもう面倒さしか感じていない。
書いたものたちに対して「これらが私の業績だ」と誇らしく振り返るよりは、単に「書いてるなぁ」という堆積物を見るだけの目になってしまっている。

脳内メモ帳やらARメモ帳(ARメモ帳の話も随分前にした気がする)やらの、人体からの拡張機能でもあればもっと気軽にメモを利用して、その集積に達成感のようなものを感じたりするかもしれないが、現状ではメモ帳は私にとって少し遠すぎる存在になってしまったと言わざるを得ない。

おかげで毎日のnote更新が大変である。
毎日綱渡りをするような気持ちでアイデアを出しているのだ。書くべき文章が完全に枯渇してしまうのも時間の問題だろう。
どうにかして根本的な問題解決を図りたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?