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蛍光灯と夏の終わり

もう八月も終わりに近づいてきた。

八月の終わりが夏の終わりを直接意味するわけではないが、なんとなくこの月の終わりは夏という季節の一つの区切りという印象が強いように思う。
子供のころから夏休みと新学期の境界として扱われてきた名残がずっと残っているのだろうか。

私は基本的にずっとカーテンを閉め切って過ごしているため、天気などの変化を見た目で知ることは少ない。
雨の降る音やセミの鳴く声で天気を判別したり、エアコンを貫通してくる暑さや湿気で季節が変わったことを知ったりする。

「八月が終わりに近づいている」というのも、そういった区別の要因の一つである。
外に出ないから、ふと外に出たときに「もう夏も終わりだなぁ」と思うよりは、これらの要因から判断することの方が多い。

こうした暮らしをしていると、その「ふと外に出たとき」の気候の変化を鮮烈に経験することが稀にある。
蛍光灯とカーテンで隔たれた、ひたすらに単調で無味な空間から、気温に風に太陽にと情報の溢れた空間へ。
この遷移を経験すると、世界にはこんなにもたくさんの情報があって、自分にもそうした情報を感じ取る器官があるのだということが、なんだか感慨深くなる。

季節の風に吹かれたときの、どうしようもない「生きている」という実感。
それを感じているうちは、生きているのも悪くはない。

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