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【引越しツバキ 10-前編】

『さよなら』を言われても仕方がない。
桂介は自分の状況を考えると、椿の足枷になっている事を自覚していた。
ただ、椿がそう言うなら仕方がない、自分は受け入れるしかない。

自分からは言いたくない言葉。
だから、その時が来るのならば、受け入れる為の心構えだけはしていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

椿の休日に、2人はアート展示会に出かけた。
それは、椿が行きたかった人気の高い展示会で、桂介も広告を見て気になっていた。

コースに従って人混みを掻き分けて会場を進んでいると、近くにいた筈の桂介の姿が見当たらない。
気付くと椿は、桂介とはぐれていた。

桂介を探して会場をウロウロしていると、桂介は椿が居た場所よりも先にコースを進んでいた。

ようやく互いを見つけると椿は「良かった」と、胸を撫で下ろす。
しかし、桂介は「もう…」と、椿に呆れたのだ。

桂介のその表情を椿は見逃さなかった。
それは、眉を細め、口角の下がった嫌悪の表情。
それに気付くと、椿の中で細い糸がプツリと切れる。

『もう、私の事は心配すらしてくれないんだね。』

椿は、頑張る事を諦める事にした。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「私、明日から暫く実家に帰るから。」
椿の言っている事が、あまりに突然すぎて桂介は目を丸くする。

上司に事前相談をした上で、持て余した有給で長期休みをもらい、航空チケットもしっかり準備していた。
「あと、私が家を空けてる間は、桂さんも実家に帰って欲しい。」
テンポよく話す椿に、桂介は置いてけぼりになる。

「ま、待って!いきなりどうしたの?!話し合おう――」
「桂さんは、離婚してくれって言われるのを待っていたんじゃない?」
ピシャリと桂介の言葉を制止する。

そして、椿の言葉のダムは決壊した。

「もう、我慢しなくていいよ…。桂さんの中で1番大事なのが私じゃない事は充分わかったから。桂さんは、私が居なくても大丈夫だよ。」
「そんな事は思ってない!椿は分かってない!」
桂介も椿の言葉を制止しようとするが、椿は桂介に食いつく。
「分かってるよ!桂さんはいつもSNSからの言葉に一喜一憂して、私の意見は聞いていない!」

桂介は言葉を失った、椿が反発してくる事が想定外だったのだ。
「桂さんを本当に支えてくれる人はいるよ。でも、それは私じゃない。桂さんは、私が大切な人じゃなくなったから…私にはもう、嫌気しかないでしょ?」

桂介の言葉は弱くなっていく。
「そんな事ないよ………」
そんな桂介に、椿は何も配慮せずに…言葉の鈍器を何度もぶつけた。
「――そう。それでも、桂さんが言った言葉で…私は自分をずっと責めていたよ。全部、私が悪いと思ってる。だから、もう私というストレスから解放されて欲しい。」

椿にそう思って欲しいわけではない。それでも、椿にそう思わせたのは自分だ…自己嫌悪が桂介を包む。

「椿…ごめん。こんな俺で、ごめん。」
桂介は久しぶりに、椿の言葉を受け止めると、そう思わせていた自分を責めては、自分と言う人格の自信を失った。

椿は独りで故郷へ帰り、自分の両親へ帰郷の理由を話し、今後の事を考えた。
桂介は実家で、久しぶりにコントローラーを握らない日々を過ごす。
それでも、SNSでは元気を取り繕っていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

口に出せないままの、追いつけなかった願いを、乾かす。
――まだ冬の匂いが残る春の風が吹いていた。

新緑のような緑色で縁取られた用紙を役所から貰い、椿は桂介の実家へ送った。
見慣れた丸い字が書かれた封筒を開けると、届いたのそれは『離婚届』だった。

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