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ARTE国際コンクール審査員を通じての所感

10/8-9の2日間でARTE国際マンドリンコンクールが開催され、審査員及びゲスト演奏として2曲を演奏しました。
マンドリンとしては世界で数少ない国際コンクールで、私にとっては2009年に1位をいただき演奏家としてのきっかけをいただいた特別なイベントであり、今度はそこで審査員をさせていただくというのはとても光栄なことでした。そして同時にその責任の重さに身の引き締まる思いでした。

コンクールはソロ部門とアンサンブル部門がありました。ソロ部門では動画審査を勝ち抜いた12名がセミファイナルへ、7名がファイナルにて演奏しました。アンサンブルは2団体によるステージとなりました。

ここでは特にソロの部門を中心に、審査員の立場から思ったこと、伝えたいことを残しておきたいと思います。

審査と結果について

審査はセミファイナル・ファイナルそれぞれに対して行われ、その合計点で順位が決まりました。

私自身の審査においては、その人(つまりこの人の才能とか)に対してではなく、その演奏(その日その時の音楽)を審査したつもりです。
それは、人を評価しようとするとバイアスがかかる可能性があると思ったからです。

入賞者は以下の通りとなりました。

●ソロ
第1位 Roi DAYAN(イスラエル)
第2位 Marine MOLETTO(フランス)
第3位 Dilyara SAGDEEVA(ロシア)

●アンサンブル
第2位 
オルケスタマンドリーノアンサンブル(日本)

結果として、ソロ部門の入賞者の順位は2日間通じてサプライズなし、その意味で審査員にとってさほど頭を悩ませることはなかったといえるかも知れません。
1位のRoiは圧巻でした。過去最高得点だそうです。将来マンドリンの世界を引っ張っていく存在になるだろうと感じています。
2位のMarineもすぐにでもプロとしてやっていける実力を持っていると思いました。3位のDilyaraもまだ少し荒削りとはいえ将来が楽しみな才能を持っていると思います。

アンサンブルはエントリーの数の問題もあり、順位付けは難しい判断を求められましたが、審査員総意の判断として妥当な物だったと思っています。

コンクールは水物か

しかし今日最初にここで伝えたいメッセージは、残念ながら今回入賞とならなかった方々に向けてです。入賞していない方達の中にも沢山の可能性を見ました。ですが、いくら将来の可能性を感じたとしてもそれ自体は審査の点数には入れていません。先述の通り、あくまでその日のその時の演奏を審査しているからです。おそらくそれは他の審査員の先生方も同じだったと思います。

「コンクールは水物」(状況に左右されやすく予想しづらいもの)という言い方を私はいつもしています。実際、点数はその日のコンディションやちょっとした出来・不出来によって大きく変わり得ます。また、審査員が変わればその評価や順位も変わり得ます。上手くいかなかった結果をあまり深刻に受け止める必要はないという意味で言っています。

でも一方で、それを水物にしない奏者がいることも事実です。どんなにコンディションが悪かろうが、不運に見舞われようが、音楽を聴かせて、結果を掴み取る奏者がいるということです。
今回2位だったMarineはファイナルで弦を切っていました。それにより多少音のバランスは不安定になったものの、最後まで(複弦のうち)1本を使って(まるで切れてもいないかのように)曲を弾き切りました。
1位のRoiも何があっても1位を取ったでしょう。審査員としてもドキドキすることは全くなく、ファイナルは審査というよりコンサートを楽しませてもらった、そんな気分でした。

コンクールは水物、でも水物にしないには何が必要か。当然、精神的な強さは必須になってきます。ですが精神的な強さというのはどこから来るのか。
勿論、その人の生まれ持った資質の側面もあるとは思います。ですが、もう一つ大事なのは、精神的な強さとは、言い換えると「自信」であり、それを裏付けるのは「血の滲むような努力」だということです。

来日してくる海外勢の覚悟と努力量を想像出来るかどうか。世界の演奏を聴いて自分との差を見つけられるかどうか。
私がそれに気付いたのも、またこのコンクールでした。自分の演奏に悔しい想いをしながらゲストでやってきたゴルバチョフ、タマラ各氏の演奏を聴きました。
もしこの人たちがコンクールに出たら、誰が審査員であっても絶対1位を取るはずだ、そう思った時に、自分の目指していた目標が、ゴールが違っていたことに気付いたのです。
その時に自分の目標を”(なんとなく)1位が取りたい”から”他から頭一つ抜きん出て1位を取る”に変え、その演奏レベルのイメージを持つことが出来た。それから2年間、基礎を徹底的にやり直して、1日も休まず練習し、結果的に2位・3位なしの1位をいただけました。
(その時にRoiがいたら勝てなかったかもしれないですが、そこは相対評価の話で、時の運ですね。)

コンクールで負けるという経験の価値

今回悔しい想いをした人がいたら、その気持ちも財産と思って是非大事にしてほしいと思います。何が足りなかったのか、見直す良い機会です。

コンクールは勝った時よりも負けた時に大きく成長するというのが自分の経験論です。自分自身、コンクールでの失敗は数知れず、苦く悔しい思いもたくさんしましたが、それが自分を成長させ大きく変えたのは間違いないです。

負けて自分の足りないところに気付き、それを徹底的に鍛え直した経験があるから今がある。
もしそこで間違えて入賞してしまっていたら、きっとどこかで見えない壁に当たったまま、見直すことも出来ず成長がなかったかなとも思います。だから審査員はそこのゲートキーパーだとも思っています。
どんなに音楽性があっても準備不足が露呈する演奏になってしまうと通せない。クラシック音楽の素晴らしさは細部の美しさにあると思っているので、そこを疎かにした演奏では難しいということです。

選曲に関して

最後に選曲に関して思ったことを追記して終わりにしようと思います。
コンクールにおいて選曲はとても重要です。当然、審査員は選曲自体を審査しているわけではありませんが、曲は戦う時の武器のような物で、いくら良い演奏が出来たとしてもそれを伝えることが出来ない楽曲では意味がありません。それは良い曲かどうかとか、難しい曲かどうかとか、そういうことだけではありません。

なぜその選曲にしたのか。そこに明確な意志や、自分の演奏スタイルがはまっているプログラムは説得力があります。
別の言い方をすれば、その楽曲を選んだからにはその本質を演奏で示せる必要があります。曲が持つ魅力と演奏との間に一貫性がないと、なんでこの曲を選んだのかな、と疑問が残ってしまいます。

誤解のないようにいうと選曲に一つの正解はありません。ある人にとって最適な選曲も、別の人にとってはそうでない場合もあります。それはその人の演奏スタイル、趣味趣向、これまでの経験、場合によっては国籍や文化なども影響してきます。そういうことをふまえての自分が勝負出来るエリアを探っていくのもコンクールの過程の一つだとも思います。

もう一点、今回審査員を代表して北爪道夫先生が総評でお話しされた中に、ピアノ伴奏のヴァイオリン曲をマンドリンに置き換えて演奏することへの疑問を呈するお話がありました。個人的にも賛同する話であり、今回改めて感じたポイントでもありました。

そもそも、ヴァイオリンのために書かれた曲がマンドリンで生きるのかどうかという論点があります。
それに加えてヴァイオリンとマンドリンという絶対音量の異なる楽器を置き換えている中で、ピアノのパートをそのまま弾いてもどうしてもバランスが悪くなり、結果的にマンドリンの音がこじんまりとしてきます。だからヴァイオリンの曲をマンドリンで演奏する時にはある程度慎重に考える必要はあります。

一方で、だからといってプログラムにマンドリンの古典ばかりが並んでくる世界もつまらないことで、そうなると今度はそれを上手く打開した奏者の演奏が光ってきます。一つの解決策として、ピアノの音を減らしたり再編曲することを北爪先生がご提案されていました。素晴らしい提案で、是非業界全体としてヴァイオリン=NGではない発展的な方法で解決していきたい課題だと思っています。ついでにカラーチェやラニエリもピアノの音を多すぎと思うことはあるので、そこも含めて発展させて行ってはどうかと思ったりします。

もう一点、選曲という意味ではマンドリン+ギターの組み合わせが一組くらいあっても良かったなと思ったりします。
ムニエルのスペイン奇想曲なんかはギター伴奏の方が絶対いい。ただコンクールの終曲としては物足りない、という側面もあるので、こうなるとこれは我々音楽活動をしている奏者のミッションで、この編成のためのレパートリーを開拓(委嘱等)していく必要はあるんだろうなと改めて感じたところです。

といったところでコンクールの審査員をさせていただき、感じたことを徒然記してみました。

改めて本当に良いイベントでした。主催のARTEの皆様には心より感謝申し上げます。
悔やまれるのは今回、こちら(イギリス)で直後に外せない仕事があったため、コンクールの後すぐにフライトに乗らねばならず、直接出場者の皆様とお話出来なかったことです。
ただ出場者皆様の審査に関してメモを残しているのでもしフィードバックご希望あればお気軽にご連絡下さい。参考になるのであれば喜んで共有致します。

今回出演された皆様がこれを機会に更なる成長をされ、活躍されることを祈っております。

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