生きる意味や目的って必要?
2週間弱滞在した北海道から関東へ移動し、現在は、3日連続で百名山を登る(男体山、日光白根山、谷川岳)というイベントが終わったところである。
そんなところに、早めのタイミングでまた奴がやってきた。。。
奴とは、、、
「生きる意味や生きる目的」を考え込んでしまうという周期のこと。
ブログの【日本一周月報 9月】にも記載しているが、「なぜ自分は生きているのか」という疑問が頭の中を反芻する日々が定期的に訪れるのだ。いつも、答えっぽいものを考え、それなりに自分で納得し、その時はそれで解決する。だが、また時間が経つと奴がやってくるというのを繰り返している。
今思えば、自分がすることや自分の考えに対して明確な「理由」や「目的」などをいつも持つようにしている。というより、持っていないなければいけないと捉えている気がする。
そうなる原因って、もしかしたら他人に何か言われたときにすぐ答えられるためのお守り的な物を欲しているからなのかもしれないな。
この時点で、他人の目を気にして生きていることがわかる。
でも、いろんな人に「生きる意味」についての意見を聞いてみたりするんだけど、だいたいの人が同じような考えをしたことがあるみたい。あるんだけど、そこまで考え込まずにやっているのだろう。それもそのはずで、考えたところで明確な答えが出る人、明確な答えを持つ人はごくわずか、考え込めば考え込むほど迷路に入り、馬鹿らしくなる。
というところで、この場合の全ての原因は他人の目を気にしているところだろう。「他人からどう見られたって好きなことをやる。」自分はそういう考えを持っているつもりだったが、つもりに過ぎなかった。
あとは、スケジュール的に暇があると余計なことを考えてしまうのも一つの要因だろう。もちろん体力的にも精神的にも休む日は大事なのだが、丸一日ダラダラ過ごすという休み方はしない方がいい。「俺は一日何やっていたんだろう」って思ってしまうと、またネガティブな考え方に陥ってしまうのは目に見えている。
この2つの考え方を自分のお守りにしておけば、肩の力が抜けて楽に生きていけるんじゃないかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?