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なじみがないのになじむ

8カ月ぶり2回目の盛岡に妻と行く。
前回、高速バスを使って0泊2日ではじめて訪れたものの、あまりの移動の疲労で記憶が断片的にしか残っていなかった。もう一度行きたいと話していて、割と近日中に実現する。いっかいではわからないことが世の中には往々にしてある。
今度は新幹線のはやぶさを使って3時間ちょっとで盛岡に到着した。はやいしおしりが痛くない。新幹線を降りると、冷たい空気にさらされる。寒さでおじけずくというより、しゃきりと猫背がのびるような、ほどよいきびしさが勝った。

おなかが減っていたので、駅ビルのなかにある、じゃじゃ麺の名店「白龍」で昼飯にする。じゃじゃ麺は、家でさぐりさぐり自作したことがあるだけで、現地で食べるのは初めてだった。ご本人登場の面持ちで麺が入った器をむかえつつ食べる。全然違った。弾力のある麺としゃっきりしたキュウリのメリハリが効いていて食感がたのしい。さらに〆でチータンタンするとき、茹で汁がラーメンぐらい入ってきたのは驚きだった。(家で作ったときは卵をあたためる程度の少しの量しか入れていなかった。)にんにく、ラー油でパンチを増していた味噌の味がリセットされ、やさしさの原点に帰着していた。その分、調味料によるカスタマイズ性が高く、そのポテンシャルを引き出すにはまだ食べ続けていく必要がありそうだった。それでもおいしかった。

食べた後、在来線で小岩井駅まで行った。電車を降りたとき、今度は晴れ間から雪がちらつき、(これが雪国か・・・!!)とこころが高まる。東京では曇っていてどんよりするし、地元鹿児島では灰が降ってきてしんどい。
タクシーで乗り継ぎ、盛岡手づくり村に向かう。手づくり村は盛岡の名産品が集い、制作体験もできる施設である。予約していたホームスパンづくりを体験する。ホームスパンとは、染色して紡いだ羊毛の糸を使った盛岡名産の織物である。『雲を紡ぐ/伊吹有喜』を去年読んで、いたく感動し、盛岡再訪を後押しした。
機織り機にセットしてある縦糸に、横糸をくぐらせて、織り込んでいく。糸は何種類かあって、縦糸を青色を中心としたミックス、横糸を白と水色のグラデーションになっているものを選んだ。小一時間かけて、20cm×30cmほどの花瓶敷きを作り上げた。途中糸が切れて、新しい糸とつなげて織り込む場面があり、本の一場面を自然と追体験した。

切れてもつながる。切れた糸と新しい羊毛を握手させて撚りをかけるんだ。

雲を紡ぐ/伊吹有喜

つながった糸はひとつになり、縦糸との組み合わせや光の当たりかたで、いろいろな色に見えた。

盛岡駅に戻って夜、盛岡にくらしている夫妻と夕飯を食べた。結婚祝いとして、箸置きくらいの大きさの2匹の犬の置物をいただいた。盛岡八幡宮の阿吽の狛犬がモデルで、勇猛というよりユーモアがつまった顔が愛らしい。こじんまりとしているのに南部鉄器なのでずっしり構えている。西郷さんと犬をたして2匹に分けた感じだった。
おみせでは海鮮と日本酒をおいしくたべた。刺身の盛り合わせのもりもり加減は人生トップクラスだった。名前を覚えきれないほどたくさんの種類、ワイルドな厚みに圧倒された。唯一覚えているソイは蒸魚でもでてきて、記憶に、そしてこの記録にも残った。
思い残すことがないほど満喫したからか、すごいはやさで寝る。



翌日。ふたたび夫婦と今度はパンやさんに集まって、朝食をともにする。おみせに集まってイートインするのは部活動生みたいな感覚があってたのしい。観光グルメというよりはローカルで愛されているパンで、住民にまじってくらしを共にしているというのに旅の機微があった。

すこし時間が空いたので、石川啄木の新婚の家に行く。おじゃまします、と言って靴を脱いではいると、畳がめちゃくちゃ冷たくて修行だった。なるべく畳に接地させないよう足をとがらせ歩いた。(毎日くらしていた啄木はすごいな)と思いながら案内書をみると、啄木はこの家に3週間しかくらしていなかったと知ってずっこける。

昼、紺屋町・材木町のあたりをうろうろして、盛岡のカルチャーにふれた。本に珈琲、器にTシャツ、せんべい、雑貨などちいさな商いが集い、それぞれにキャラクターがあってずっと目をかがやかせていた。
駅やそれぞれの町の間には川があり、ひたすら川を渡った記憶が残っている。橋からは雪のつもったまっしろい山が見えた。まちの中心に、山と川のある風景は鹿児島と似ていて落ち着く。

夜、盛岡駅でみたび夫婦と集まり、冷麺を啜る。
夫婦に教わって辛さを「辛味別」にすると、冷麺とキムチが分かれて出てきた。少しずつキムチを入れて辛さを調節できるだけでなく、本来のスープの旨味を最初にたのしむことができた。ここにもカスタマイズ性が存在した。またメニューの写真にはスイカが写っていたけど、実物には梨がのっかっていて冬を感じる。最後までおいしいものを囲んで、食をめでる気持ちを味わう。

帰りも新幹線で帰る。ふと電光掲示板に流れた【面白高原駅】というワードが目に留まる。脳の処理が追いつかず、もう一度その掲示が流れてくるまで凝視していた。世の中にはまだまだ面白が潜んでいる。

家についたら、テーブルいっぱいに旅の収穫をひろげる。
そして狛犬たちを玄関の守り神として配置する。寒さはまだ続きそうなので、狛犬の下に作ったホームスパンを敷く。ホームスパンは川のようなたたずまいがあった。これまでの人生ではなじみがないのになじむ。
自宅に盛岡をしたためて、日常はまた日常へともどる。


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