見出し画像

可愛いおばあちゃんになる

やっほー。金子です。

今日は私の人生観について書いてみました。

タイトル通り人生の最終目標は可愛いおばあちゃんになる事です。可愛いおばあちゃんになるために意識して生きています。理由ですか?簡単です。

死ぬ前に若い人に可愛がられて優しくされて死にたいからです。

誤解がないように言いますと、
「若い人=将来私の面倒を見てくれる医療機関の方々」です

私は十数年、医療機関(民間の総合病院、市民病院、島の診療所)に勤めていました。そこで気づいたんです。

どの施設でも「可愛いおじいちゃんおばあちゃん」は介護や看護をする側からするとひいきしないように心がけていても「ひいきしたくなる存在」だと。見た目の問題ではなく、雰囲気だったり、言葉使いだったり、笑顔だったり。みてるだけで癒されるんですよね。

医療機関って人の命を助けたり、病気の予防を促したりしているのですが、やはり悲しい場面は避けられないんですよ。そんな中で可愛い存在は癒しなんです。緊迫した現場の隙間に心から助けてもらっているんです。

だから自然と笑顔になるし、なにかあったら気づくし、いつもと何か違えば心配になっちゃう。みんなが心配してくれるんです。これってすごく大事だと思うんです。気にかけてくれる人がいる安心感。

死と向き合うとは自分と向き合う事

私は物心つき始めた頃に祖母を亡くしたので、それから自分や家族の死について考えて生きてきました。学生の頃はほぼ毎日死と向き合って生きていました。マイナスなイメージではなく

・死とは何か。
・死んだら私の周りの人たちはどうなるのか
・私はどう死ぬのか
・どうやったら苦なく死ねるのか。

死にたいわけではなく、いつか訪れるその時の心の準備をしたかっただけ。

そんな中、私が20歳の頃3つ下の妹が私に質問しました。

「お姉ちゃんって将来の夢ある?」

私は仕事にハマりすぎて、目標はあれどそれ以上欲しいものがなかったので「幸せになりたい」と安易に答えました。

すると妹は「幸せな人生かどうかなんて死ぬ前にしかわからないでしょ
と失笑しました。失笑されました。姉が妹に。結構ショックでした。

多分妹は(先のことを考えていないし考えるつもりもないのか)という意味で笑ったんだろうけど妹の意味深に聞こえる反応が心に残りました。

それから「死ぬ直前」について考える日々が始まりました。

・死ぬ直前ってどこにいるんだろう
・家は嫌だな。病院がいいな。
・家族みんなを看取ってから最後に死にたいな。
・死ぬ前の最後の言葉はなんだろう。
・どんな人生だったと思うかな。

そんなことばかり考えていました。そして最終的に「どのくらいの期間を振り返って幸せだったと思うのだろう。」と考えるのですが、気づくんです。

多分、私は振り返らない。

振り返ったとしても幸せだった。と思うだろう。と

自分自身で人生の岐路を選択できるよう育てられたので多分私は後悔しないんです。親戚が多いこともあり後悔してきた大人たちを見る機会も多く、(ああはなりたくない)と子供ながらに危機感を感じていたので後悔することを異常に避けた性格になりました。

よく聞く「明日死んでも後悔しない生き方」をしている方だと思います。
なので比較的悩みもなく、よく笑ってます。

ただ、将来体が動かなくなった時、その時の快適指数で今が幸せかどうかをジャッジするとは思うんですよね。快適に過ごせない状態を作ったのはこれまでの私が選んだ道の最終地点であり、可愛がられるかどうかもそれまでの生き様で現れたのだろうと。

もしも認知が進んでしまったら、心のコントロールや言語のコントロールができなくなる可能性がある。それはどうしようもない。じゃあ、そうならないように予防できるものは予防しよう。

誰かを傷つける言葉を脳裏に置かない生き方をしよう。そうすればコントロールできなくなっても人を傷つけてしまう可能性は低くなるかもしれない。
汚い言葉は使わない。単純だけどそれだけでいいのかもしれない。

そんな事を考えて生きています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?