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AIR Design誕生秘話 Part3

株式会社ガラパゴスの代表を務めております中平です。

2019年9月にローンチしたAIR Designは、ありがたいことに約2年で導入300社を突破しました。

ただサービスの成長には紆余曲折のストーリーがあり、簡単には超えられなかった試練もありました。

昔を思い出しながら、AIR Designの誕生秘話をお伝えいたします。
Part2に続きまして、Part3となっております。

※本作は、以前wantedlyに書いたものを加筆編集したものとなります。

オプト(現:デジタルホールディングス)鉢嶺さんに後押しいただく

その後も、安定的にロゴは売れ始めて、KPIは明確になりました。

Q:1個辺りの成約率
C:1個辺りの制作時間
D:月当たりの生産量
製造業で培ってきたQCD観点でのマネジメントを開始しました。

量産体制もできてきたので、しゅふJOBを中心に、主婦デザイナーの方を採用させてもらって一気に拡充していきました。

とはいえ、まだ社内のプロジェクトの一つに過ぎない状態。なんか思いっきり踏み込む感じにもなりきれていませんでした。

そんな中、オプト(現:デジタルホールディングス)の創業者であり代表の鉢嶺さんに事業プレゼンする機会をいただけました。
大先輩から、何か少しだけでもヒントがもらえないかと必死になってプレゼンをしました。

ミーティングが終わる頃には、僕は勇気をもらって決意をすることができました。

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鉢嶺さんからしたら何てこともないメッセージだったかもしれないですが、僕は何故か断固たる決意を得る事ができました。

「この事業に人生を賭けよう」と。

創業8年目の大きな決断

僕の腹は決まりました。あとはこの事業とどのくらい本気で向き合うかだけでした。

その頃の弊社は、スマホアプリの受託開発事業が安定的に稼働していました。そして上記事業もきっちり回してくれていたのが、社員達と創業取締役の島田と細羽でした。

2ヶ月くらい悶々と悩みました。サウナにも何回も行って自問自答しました。そしてまたサウナに行きました。

決めました。

島田と細羽をスマホアプリ開発事業から新規のデザインAI事業部に異動してもらおうと。

この一文で書くとめちゃくちゃ軽く聞こえますが、それはとっても大きな決断でした。

考えてみて下さい。

今あなたの会社で主軸となる大黒柱の二人をメインの稼ぎ頭の事業部から異動させるということです。

容易に思いつくのは、組織の崩壊です。
(そしてそれは現実に起こるのだけどそれは少し先の話となります。)

この決断によって今まで8年間積み上げていたものを全て失うかもしれない。それでも僕は挑戦したいと心の底から思えました。

この時の決断を今でも全く後悔してないんだけど、正直この時は社会を良くしたいとか、誰かを幸せにしたいとかそういう気持ちはほとんど無くって、ただただ、手元にある、世の中を根底からひっくり返せるかもしれないっていうビッグチャンスをやりきりたいって気持ちでした。

二人と話し合い、そして、スマホアプリ開発の事業部を平井さん(創業期からのメンバー)本人に託す旨を伝えました。

2017年11月のことです。
誰もが不安になり、そしてその不安はこの後、的中することとなります。

Part4へ続きます!
もしくはPart1へどうぞ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。